【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(14)
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
《地方分権推進法》平成7年(1995)3月8日〜4月14日
「ある秘書の一日」『法学セミナー』(日本評論社 1996.7)を引用したい。
「自治体職員から政策担当秘書に身を転じた私が、宿命的とも思える地方分権推進法の議員立法活動に参加して、すでに一年が経過しようとしている。今改めてあの二か月間を「ある秘書の一日」に凝縮して振り返ってみたい。
もともと地方分権というテーマは、議員立法には恰好の素材である。実際議員間でも与野党ともに議員立法化への機運はあったものの、結果として政府案(閣法)VS新進党案(衆法)という構図になったことはやや心残りではある。さて、そんななか、案の定というべきか平成6年12月25日閣議決定した政府の大綱、方針は各省庁が合意できる範囲にとどまる内容で、マスコミの評価も骨抜きというのが大勢であった。これを受け新進党は1月23日の第132国会の代表質問において対案の提出を宣言するに至った。2月13日新進党は明日の内閣・行政改革担当のもとに議員15名で構成する地方分権問題検討チームを設置し、対案づくりを行うことを決定した。副座長を命じられた我が議員の指示により、私は事務方として待望の対案づくりへの参加が実現した。他に秘書、政審職員各一名が仲間となった。
まず行ったことは (1)地方制度調査会や民間政治臨調などの各種答申・意見の特徴を比較した資料の作成、(2)新聞報道などから想定される政府要綱案の評価表の作成、(3)(1)-(2)の資料に基づき対案作成における論点の整理。これらの作業を踏まえ、新進党としては第24次地方制度調査会の答申(H6.11.22 付)を国民的コンセンサスを得たものとして評価し、この答申内容を可能な限り法案に書き込むことを最大の眼目とした。その結果としての論点を整理し、衆院法制局に要綱案づくりを依頼したが、時間との勝負の苛酷な作業を強いることになってしまった。3月8日の対案の国会提出まで、検討チーム内での協議と党内手続きを精力的にこなして行ったが、この間の私の役割は元自治体職員としての現場感覚を基に具体的事例を紹介しながら問題意識を共有化し、法案に反映させていくことにあったと思う。その意味で私は立法補佐する立場と立法化を要請する利害関係人の立場という2つの側面を有していたことになる。
いよいよ国会での論戦の舞台を迎えることになったが、それまでの作業のなかでスタッフとしての認知を得た私は、検討チームの会議でも質問内容や進め方について積極的に発言し、かなりの部分で意見を採用してもらうことができた。なかでも思い出深いのは新進党案への質疑の対応である。もちろん政府委員は存在せず、答案は提案者である議員(4名が提案者)自らが行うことは当然であるが、スタッフとしては質問取りと答弁の準備作業もまた大変である。一応委員会前日の午前中を質問通告の締め切りとしたが、全部そろったのは夕刻で質問項目は50問近くあった。こちらのスタッフは3名。各人の得意な分野を分担し、ほぼ同時並行で答弁者(議員)との打ち合わせまでに答弁資料を作成。答弁者との内容の検討は深夜まで続き、その後の修正作業が完成するころにはすっかり夜は明けていた。実際の委員会審議では委員会室で答弁する議員の後ろに陣取り、答弁のサポート活動も経験することができた。
さて法案審議の最大の焦点は機関委任制度の取り扱いとなった。新進党案が制度の廃止を明確に書き込んだことにより議論は深まり閣法の議員修正も行われ、総務庁長官からは「…(本法に定める地方分権推進のための)所要の措置には機関委任事務制度の廃止も含む…」との答弁も引き出すに至った。与党側委員からは「新進党の案のほうが良い。こんなことなら最初から議員立法でやっておけばよかったじゃないか」との声も聞こえてきた。
現在の地方分権推進委員会が機関委任事務制度の廃止に大きく踏み出した背景には、国会での議論が大きく影響しているとの声を耳にし、いささかの自負を覚える。某紙はこの論戦を通して次のような論評を寄せている。これまでの「万年野党による言いっぱなしの『不毛な論議』とは違う、実りある論戦という国会改革の実験の場になりつつある」ささやかな足跡の残る当時の本会議・委員会会議録はこうして今や私にとって大事な宝物となっているのである。」
〈衆議院法制局〉
市職員を辞して、政策秘書に就任したものの、あっという間に野党に転落。国会での与野党の差は天国と地獄くらいのもので、野党の政策秘書の働く場などたかが知れているが、運良く地方分権推進法の対案作業に関わることができたことはせめてもの慰めであった。その顛末は「ある秘書の一日」の通りであるが、この経験は僕に大きなご褒美を与えてくれた。対案の立案作業は衆議院法制局の郡山芳一さん(後の衆議院法制局長)や笠井真一さん(現・法制局次長)などのスタッフとの共同作業となったが、僭越ながら僕の働きは、国の立法現場において自治体職員の力量を認めていただく機会となった。
そのことが、『法学セミナー』への「ある秘書の一日」の掲載(僕は衆議院法制局の推薦で新進党の政策担当秘書を代表して執筆を依頼された)だったり、元衆議院法制局長上田章氏『議会と議員立法』(公人の友社、1997)や元衆参両院議員山本孝史氏『議員立法』(第一書林、1998)で僕の活動を評価いただいたり、読売新聞『政治考現学』(H9.5.4)での僕のことを取り上げた記事掲載につながったりしていったが、最も大きな成果は、広太郎さんの福岡市長就任後、平成11年度(1999)から始まった福岡市職員の衆議院法制局への法制実務研修員の派遣事業(期間は1期2年)である。初代の八木智昭君(前議会事務局長)や2代目の小川直也君(現・総務企画局行政部長)は、制度も固まらないなかで大変な苦労をしたと思うが、彼等の頑張りが、その後のこの制度の継続・拡大につながっている。令和6年(2024)現在も福岡市におけるこの事業は継続されており、13代目で初の女性職員が派遣されている。中央省庁への派遣事業が軒並み取りやめとなっている今、継続されていること自体にこの事業の効果のたしかさが立証されているともいえる。
なお、法制実務研修員制度は衆議院法制局にとっても、初めての試みであり、広太郎さんの市長当選後、衆議院法制局の郡山氏(当時は法制企画調整部長)から職員の相互交流をやらないかとの提案があり、当時の津田隆士議長/議会事務局の理解も得てスタートしたもの。自治体側としては、国政の舞台に寄せられるさまざまな問題を法的なプログラムで解決するプロ集団のなかに職員を派遣することで、分権化の時代に相応しい法的な執務能力や政策立案能力を高めようとする一方で、衆議院法制局側としても議員立法の質を高めるため、「自治体職員の実務経験を日々の立案業務に反映させることが重要である」との認識があり、いわばWIN‐WINの関係にあった。
とはいえ、受け入れてくれた衆議院法制局の対応は見事なものだった。自治体と対等の立場で実施するとの基本的な方針に基づき、派遣職員の採用年次に応じて、法制局職員と同等のポジションに配置し、分け隔てなく処遇していただいた。通常の中央省庁派遣ではあり得ない対応だった。現在の衆議院法制局での自治体職員の派遣は12人VS 88人(プロパー職員定数)、延べでは、派遣研修員は105人、20都道府県であり、派遣している自治体にとって人材育成に大きな成果をもたらしていることの証左であり、衆議院法制局にとっても不可欠の戦力となっていると思われる。これは僕の政策担当秘書時代の数少ない大きな成果だと秘かに自負している。
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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