【加藤縄文道29】縄文がもつ意味を考える

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縄文アイヌ研究会
主宰 澤田健一 氏

レヴィ=ストロースも称賛した縄文

 近年になって縄文時代の評価が急上昇しているように感じます。縄文の真の姿が次々と明らかになってきました。20世紀後半の思想界をリードした知の巨人と称されるフランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは縄文土器の素晴らしさに触れて、「人類諸文化のすべてを見ても、これに比肩できるものはありません」と述べています(「月の裏側」中央公論新社)。他とは比較にならないほどすばらしいと絶賛しているのは土器だけではなく日本文化そのものなのです。そして同著で「日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けるよう願わずにはいられません。それは日本人自身のためだけに、ではありません。人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです」とまで述べています。

 論旨を簡単に解説しますと、いま人類は暗い未来に向かって進んでいるが、その暗い結論を変えることができるのは唯一日本民族だけだというのです。日本の過去の文化を保ち続け、そしてそれが世界に広がると人類の未来は明るいものになる可能性があると言っているのです。過去の日本文化が大事だということであり、日本文化の基礎をなしているのは間違いなく縄文文化なのだと解説しています。それは縄文文化が世界を救うと言っているのです。

飢え無き世界

ドングリ イメージ    それほどまでに賛美される縄文時代の姿を見ていきましょう。縄文時代は原始の世界どころか最先端の社会だったのです。他のすべての民族が打製石器しか持たずに洞窟や木陰に身を潜めて生きていたころ、縄文人だけは屋根のある家に住んで集落を形成し、煮炊き料理を味わいながら磨製石器や芸術的な土器をつくっていたのです。他民族が動植物を生のまま食べるか焼いて食べるしかできなかったころに、縄文人は煮炊き料理を出汁でコクをとって美味しく味わっていました。集落には数十から二百以上の貯蔵穴があって、それは食物を貯蔵する穴藏であって、そこに栗やドングリなどの堅果類を満載していました。それがあるからいつでも食べられる、つまり飢えることがないのです。

 それほど文化的で食糧の心配がない集落は争う必要がありません。世界各地では食糧が不足して飢え始めると争いの引き金となります。戦争が絶えない大きな一因です。縄文時代の日本では争いの形跡が見られません。1万年以上も戦争のない社会は世界中見渡しても縄文日本しかありません。そのため集落の営みも非常に長期間にわたり、ユネスコの世界遺産に登録された函館市の垣ノ島遺跡などは約6,000年間も継続しています。さらには北見市の常呂遺跡と標津町の標津遺跡群においては約8,000年もの長期間にわたって集落が営まれていたのです。

 戦争のない平和な集落が6,000年も8,000年も持続する、SDGsの理想モデルでしょう。それほど長く続いた集落など海外には1つもありません。レヴィ=ストロースが縄文日本に世界の救いを求めるのも納得がいきます。ではなぜそれほどまで長期間にわたって戦争のない平和な社会が実現できたのか、それを考えていきましょう。

戦争なき縄文

 食料資源の欠乏が争いに発展することは容易に想像が付きます。しかしそれだけが理由であるはずはありません。人間の欲望には限りがありません。さまざまな原因をきっかけとして争いごとが起こりますが、縄文時代には戦争の形跡が見られないのです。矢の刺さった人骨も見つかりますが、不慮の死の割合は他民族と比較すると圧倒的に低いのです。他国では首や手足がない遺骨なども発掘されますが縄文人には見られません。おそらく矢が刺さったのは狩りの最中に不幸にも仲間の流れ矢に当たったものだと考えられます。明治期のアイヌにも仲間の仕掛矢に当たって死んだ例があります。

 つまり縄文人は仲間を非常に大事にしていたのです。5、6人乗りの丸木舟で外洋航海をしていた人々は、1人でも仲間を失うと航海に支障をきたします。丸木舟は転覆はしても沈没はしません。海に投げ出された仲間は必ずみんなで助けていたでしょう。また体重が400キロ以上もあるメカジキやさらに大きいサメやクジラ漁までやっていました。全員の一致協力が必要不可欠です。現在のマグロ漁は電気ショッカーや巻き上げ機を使ってエンジン付きの高速船で行っていますが、縄文人はそれを丸木舟に乗って素手で行っていたのです。そこに和を乱す者が1人でもいれば命とりになってしまう、そうしたことから聖徳太子の「和を以て貴しとなす」とする日本人の和の精神が育まれていったのでしょう。

 それに加えて、自然を大切にし、自然とともに生きるということを徹底していたのだと思います。貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、摂取した生き物の命に感謝し、天に送り返すものだったと解釈されますが、とても納得がいきます。「いただきます」という言葉さえ哲学を感じます。あらゆる食物の命を「いただきます」というのはすばらしい思想だと思います。すべてに感謝をもって生きていた、だからこそ平和な時代が1万年以上も続いたのでしょう。他者や自然を敬いすべてに感謝をもって生きる、それをレヴィ=ストロースは「人類のすべてが、学ぶに値する」と評したのでしょう。

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