【連載】コミュニティの自律経営(39)~福岡県西方沖地震
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
連載の第1回はこちら。「結の巻」~山崎市政の終焉
福岡県西方沖地震
平成17年(2005)3月20日午前10時53分、M7.0、最大震度6弱の福岡市近辺では有史以来最も大きな地震に襲われた。玄界島住宅の半数が全壊し、能古島、西浦、宮浦、志賀島などで死者1名、負傷者1,200名、全壊140棟の被害であり、福岡市では地震などの大きな災害がないという安全神話が揺らいだ震災だった。
地震の発生後、直ちに被害状況が確認され、最も被害のひどいのは玄界島であったが、西区・東区のいわゆる農漁業地域および都心の警固断層沿いのマンションも大きな被害に見舞われた。国の被災者再建支援策は非常に限定的なものだったため、広太郎さんは、とくに地域コミュニティの自立再建には住宅再建に対する支援が不可欠との考えから、ただちにこれら地域の支援策を組み立てるよう、各局に指示を出し、早い時期に福岡市独自の被災者支援策が打ち出された。このころ、広太郎さんは連日連夜、自ら陣頭指揮をとっており、職員もその思いに答えようと全力で震災対策にあたった。この折のリーダーシップは格別のものがあったと当時の関係職員に記憶されている。
3期目に向けて~守りの市政から攻めの市政へ
平成17年(2005)は翌年に再選期を控え、政治の季節を迎えていたが、9月に市議会で五輪招致を表明する一方、10月に家庭ゴミ有料化、12月には新病院基本構想~市民病院とこども病院のアイランドシティへの統合移転を発表、翌18年には留守家庭子ども会の有料化など、ある意味、争点をばら撒きつづけた時期と言える。
一方、17年3月には博多港開発(株)第2工区の市直轄化に踏み切り、アイランドシティ/博多港開発(株)についての一応の目処をつけ、市債の格付けのAA−からAAへのアップを獲得しており、広太郎さんの心のなかでは、いわば「守りの市政から攻めの市政へ」転ずる時期だったかもしれない。ただ、何の案件だったか定かではないのだが、「いくらなんでもそんなに持ち込まれたら選挙にならない」との発言も思い出す。それくらい、選挙に強いと思われた山崎市政の3期目に向けて、市役所内も抱えてきた課題を一気に解決しようと、いわば在庫一掃の勝負に出ていた。
市民病院とこども病院の統合移転構想は、結局市長選で争点化されて、落選の一因になったかもしれないし、当時経営補佐部で関わった件でもあるので、少し書いておく。統合移転については平成14年(2002)の病院事業運営審議会において、市民病院とこども病院の統合による一体的整備が求められていた。この移転先についてのアイランドシティ案については、アイランドシティの土地売却が先にありきならダメだと、広太郎さんは明確に言っていた。アイランドシティを「売り急ぐな」と言っていたのもこのころである。しかし、両病院の機能の一体化により、こどもから大人までの一貫した医療(周産期医療や成育医療などを含め)を提供でき、統合による効率的な病院経営、アイランドシティでの健康未来都市の中核施設化などの諸要因を踏まえて、両病院の統合と移転先をアイランドシティとすることを決断していった。その後、紆余曲折あって、2つの政権を経て、こども病院の単独移転となったが、当時の統合移転の是非はこの先の時間軸のなかで検証されていくのだろうと思う。
五輪招致~コンパクト開催
五輪招致については、当時僕は議会事務局で、市長周辺の情報に疎くなっていたので、詳しく語ることができるものはないのだが、市長落選の大きな要因とも言われていたので、ざっくり触れておくことにする。
なぜ五輪招致に手を挙げたのか、僕自身釈然としないのだが、当初は「九州五輪」を掲げていたので、当時「フォア・ザ・九州」を標榜していたこともありで、東京一極集中へのアンチテーゼで、ダメ元でやっているのだろうと思っていた。しかし、五輪の開催地は都市主義であり、九州五輪はダメとなっても、招致活動は止めなかった。
平成17年(2005)9月22日の福岡市議会でオリンピック2016大会への招致を表明した。当時は、福岡市の招致表明は、東京の「噛ませ犬」だとまことしやかに囁かれていた。後に、ノンフィクション作家の塩田潮さんとの対談で、広太郎さんはこう語っている。「何かJOCに仕組まれた感じもないわけではない。直接、『出てくれ』とは言わないけど、『福岡は出るべき』と言っていた。ですが、私はその場でやろうと決めた。前々から東京一極集中ではだめで、分極すべきという考えがあり、オリンピック開催はチャンスだと思った」(『ニューリーダー 2018年10月号』)。噛ませ犬論は当たらずとも遠からずだったかもしれない。
僕はステレオタイプで五輪招致は反対だった。どうせスポーツマフィアに食い物にされるし、ようやく福岡市の財政が健全化の道を歩き始めたばかりであり、五輪なんかやれば元の木阿弥だし、当時市長が言っていた福岡市の負担額が1,000億円で済むはずがないと思っていた。開催計画は製作総指揮者に建築家の磯崎新氏を招き、須崎埠頭を中心としたコンパクトな計画が立案され、ユニバーシアード大会や世界水泳大会などの国際スポーツ大会の開催経験が豊富で、競技団体の信頼が篤かった福岡市の計画はその斬新性、革新性、「コンパクト開催」の思想性も含め、次元が異なるほどの高い評価で、高をくくっていた東京都/石原慎太郎知事の心胆を寒からしめる状況に追い込んでいった。マスコミの評価もまんざらではなかった。各紙の朝刊1面コラムから抜粋して紹介する――。
▼「『地方都市でも開催できるコンパクトな21世紀型五輪』という福岡の理念は新鮮だ」(中国新聞・天風録)。「われわれ首都圏に住む者にとっては『東京』を応援したくなるが、日本を代表する都市・福岡も捨てがたい」(千葉日報・忙人寸語)。
▼日本中が不況で沈滞したとき、一番元気がある街、の評を福岡市は取った。米誌ニューズウィーク国際版は先日、「最もホットな10都市」に日本からは「アジアの玄関口」として福岡を選び、五輪招致にも触れている」(H18.7.1 西日本新聞「春秋」抜粋)。
しかし、8月30日のJOC国内立候補都市選定委員会開催の5日前、福岡市職員による衝撃的な海の中道飲酒運転事件が発生してしまい、盛り上げイベントも開催されないままとなった。事件から5日後の五輪開催国内候補地の選定では、東京都に22VS33で惜敗した。
そして、約3カ月後の市長選挙で、3選を目指した広太郎さんは落選となった。招致合戦に負けたからと言うより、福岡市の財政規模からして、開発行政の転換を主張していた広太郎さんの変身として、市民は厳しく咎めたのだと当時僕は思った。しかし、どうだったのだろうか?東京五輪の大騒動、目に余る五輪汚職、大阪万博の迷走、こんな国を挙げてのプロジェクトには辟易するし、最早首都でしか開催されなくなってしまった五輪のありようを見るにつけ、広太郎さんの分権原理主義者としての五輪地方開催の提案は、高い志と見るべきだったと今にして思うがどうだろうか?広太郎さんからは、今頃分かったかと言われそうだけど。
2021年の広太郎さんの急逝の折にいただいた弔電を見ていると、「五輪の招致運動は実に面白かった」、「開催計画で描いた夢を是非実現したい」など、福岡五輪開催の夢を追いかけた同志の方々の声が多く寄せられていた。後年、広太郎さんとコロナ禍で開催が延期された東京五輪の話をしていて、不意に、「竹田恒和前JOC会長はお粗末だった」と呟いた。2006年の国内立候補都市決定のあの日、東京に決まった後、挨拶しようとしたら、目も合わさずに立ち去っていったと。そのくらいの愚痴は許されるだろう。
広太郎さんの著書『紙一重の民主主義』の帯には、「オリンピック誘致で東京と最後まで闘った“反骨”の元福岡市長、渾身の提言!」とあるが、国民主権を説いた本の帯としては、ずっと違和感があった。しかし、ここまで書いてきて、広太郎さんは本当に“反骨”が真骨頂だったと感じている。新空港問題では巨額の新宮沖構想に対して、より実現可能な雁ノ巣沖を提言したり、首都開催が常識となり国威発揚の舞台と成り下がった五輪にコンパクト開催という新たな理念で対抗し、1,000億円でやってみせると宣言したこと、さらには、かつての県知事選挙も国政レベルでの候補者選考に反旗を翻しての出馬だったし、新球団誘致やアジア太平洋こども会議だって、「無理だ」という世間相場への反骨だった。そもそも、政治を市民常識に適うものにとの思いで政治家になったことも、そして、主権者は国民であることを訴え続けたことも、広太郎さんの反骨精神のなせる技だったのだろうと思う次第である。
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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