福岡市民会館 多くのエピソードを生み61年超の歴史に幕

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 23日、福岡市民会館(福岡市中央区)の閉館記念式典が行われた。式典では高島宗一郎福岡市長の挨拶をはじめとして、市民会館の歴史を振り返る劇も披露され、抽選に当たった市民が見守るなかで、61年超の歴史に幕を降ろした。

閉館記念式典には多くの人が詰めかけた
閉館記念式典には多くの人が詰めかけた

 後継の拠点文化施設「福岡市民ホール」は、3月28日にオープンする。地上5階建、大ホール(約2,000席)、中ホール(約800席)、小ホール(約150席)を備える。一方の旧市民会館はこの後取り壊されて公園として整備される予定だ。

 福岡市民会館は1963年10月25日開館。建設当時は市内で最も大きい1,700人超を収容する大ホールとしてさまざまなイベントの会場として利用され、数々のエピソードを生んできた。

 78年4月7日、市民会館でCBSソニーと集英社『セブンティーン』が主催するミスセブンティーンコンテストの九州地区大会が開催された。このとき応募出場したのが高校2年生だった後の松田聖子(当時本名:蒲池法子)だ。だが、当日は好きな歌手(川崎麻世?)のコンサートがあるので見に行きたいと言って、母親と一緒に久留米から福岡にでかけ、娘は市民会館へ、母親はその間、買い物に出かけた。もうコンサートも終わったころかと思って母親が市民会館を訪ねると、実はオーディションであることが分かり、娘が舞台上で桜田淳子の『気まぐれヴィーナス』を歌っていたという。

 法子は優勝したものの、両親に内緒にしての出場だったため父親に猛反対され本選を辞退した。ちなみにこのとき本選優勝ではなかったもののスカウトされた久保田早紀は、翌79年に『異邦人』でデビューした。だが、オーディション後に法子のデモテープを聞いて衝撃を受けたCBSソニーの若松宗雄プロデューサーが、久留米に足を運ぶなどして数カ月にわたって法子の両親を説得、デビューにこぎつけたという逸話がある。

 さて好きな歌手のコンサートがあるといってオーディションに出場したという逸話だが、2011年に川崎麻世自身がブログで、デビュー前の松田聖子が福岡市民会館の楽屋を訪ねてきてサインを書いてあげたという逸話を書いており、実はオーディションとコンサートの同時開催で決してうそはついていなかったということが判明している。

3月28日オープンする福岡市民ホール
3月28日オープンする福岡市民ホール

    このようなエピソードはファンではない人にとっては「どうでもいい」話だが、多くの人にとってはどうでもよくても、ある人にとってはかけがえのないドラマを数々生んだ市民会館もついにフィナーレを迎えた。そして、新しい福岡の顔となる市民ホールがこれから歴史を刻もうとしている。

【寺村朋輝】

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