ヨーロッパを総括する(5)文明の華

福岡大学名誉教授 大嶋仁

 ヨーロッパとは単なるEUではない。音楽、美術、哲学、科学、キリスト教、さらには啓蒙思想まで、多様な要素から成る「文明」としてのヨーロッパが、本来の姿である。しかし、そのヨーロッパはいま、アメリカ依存と自己喪失により、自立性と知性を失いつつある。ロシアとの断絶や、日本を含めた他文明との関係も複雑化するなか、真の復興には古典的精神と哲学への回帰が不可欠だ。ヨーロッパの未来を考えることは、同時に世界の未来を問うことでもある。

(5)文明の華

バチカン イメージ    ヨーロッパ文明の華といえば、音楽や美術や建築、あるいは都市の景観であろう。

 私たちが学校で習う音楽は西洋音楽。ピアノを弾く。バイオリンを奏でる。クラリネットを吹く。そういう人は日本だけでなく、世界中どこにでもいる。彼らは同じ楽譜を読んで、それぞれに演奏する。しかし、そこから出てくるのは、同じモーツァルトやベートーベンなのである。

 「そんなことはヨーロッパの列強が世界支配をした結果であって、それがなければ西洋音楽が世界の音楽を支配することなどなかったろう」と一応はいえる。しかし、その音楽に人々の心を動かすものがなかったならば、世界の隅々にまで、これほどの影響を与えることはなかったはずだ。

 西洋音楽が世界に浸透できたのは、「楽譜」という世界共通の言語があったからだともいえる。しかし、その楽譜こそはヨーロッパ文明の産物なのだ。文明と文化の違いはそこにある。文化は常にローカルなもので、そこに文化の価値があるにせよ、グローバルなものを生み出す文明とは違う。

 楽譜は西洋音楽が普遍化するための手段であるが、そういう普遍的なものを生み出すヨーロッパこそは、どう見ても「文明」なのである。

 ヨーロッパ音楽は楽譜を生み出しただけではない。21世紀の人類にまで感動を与える楽曲を生み出している。つい最近知ったのだが、HIMARI(本名:吉村妃鞠)という日本人のバイオリニストがいる。まだ13歳なのに、ベルリン・フィルハーモニー楽団のソリストに選ばれたのだそうだ。

 聴いてみると、技術だけでなく、その表現力に圧倒される。このような天才児が育ったことは日本にとって名誉であるけれども、それ以上に重要なのは、ヨーロッパの産んだ音楽が日本の文化にまで深くおよんでいるということだ。HIMARIは日本を代表しているのではなく、ヨーロッパの生んだ「音楽」を代表している。

 そういえば、アメリカのシカゴに行ったとき、彼の地の大学で講演をした後、そこで日本文学を講じている教授の厚意で、シカゴ交響楽団の演奏を聴く機会を得た。バッハの「マタイ受難曲」であった。

 誰がソリストとして歌ったか、指揮者が誰であったか、残念ながら覚えていない。ともかく演奏は圧倒的だった。そして、そのとき思った。この新大陸の新興都市でも、すばらしいバッハが聴ける。西洋音楽が人類に与えたものは測り知れない、と。

 美術はどうだろう。音楽ほどには世界に浸透していないかに見える。日本でも学校の美術の時間に西洋式のデッサンを習い、西洋美術の名画を目にしたりするのだが、西洋美術が東洋美術より圧倒的に優れているという感じはしない。一体、どうしてか?

 思うに、美術は宗教と密接している。また、自然をどう見るかという世界観ともつながっている。そうなると、東洋には仏教があり、中国には老荘の自然観がある。それが日本を含めた東アジアの美術に浸透しており、そこからすると、キリスト教と古代ギリシャ美術の合体した西洋美術は、それはそれですばらしいとしても、今1つ私たちにはピンと来ないのかもしれない。

 日本には「印象派絵画が大好き」という人も多くいるので、以上は私見に過ぎないかもしれない。しかし、はたして西洋美術は、日本文化に西洋音楽ほど影響を与えているだろうか? そうは思えない。

 その根拠として、以下のことを挙げておく。20世紀後半はヨーロッパが「自己解体」を進めた時期で、「構造主義」と呼ばれる知的運動はその最たるものだった。その後に出てきたデリダという哲学者が、ヨーロッパを「音声中心主義」「論理中心主義」「自文化中心主義」と再定義している。

 この定義はいちいち納得のいくものだが、なかでも「音声中心主義」が重要だろう。ヨーロッパ文明は「音声」の文明であり、であればこそ、音楽が無類の発達を見せたのではないか?

 建築に話題を転ずる。「建築は凍結した音楽だ」と喝破したのはドイツの文豪ゲーテである。その彼がいうまでもなく、ヨーロッパは建築美と都市美において、群を抜いているように思える。究極はベネチア、ウィーン、あるいはパリか? 否、それ以上に、いま新教皇で話題になっているバチカンであろう。

 日本から新婚旅行に行ったカップルが、バチカンを見たことでキリスト教に対する考えが変わったという話を耳にしたことがある。それほどに、この宗教都市の建築美は人を感動させるのだ。この構造美はどこから来るのか。遠くギリシャの幾何学、ローマ帝国の建築技術、そうしたものから来るのか。

 否、そこにキリスト教精神がなければ、このような美は構築できなかったにちがいない。ヨーロッパの宗教文化は、これまたカトリックという普遍主義に支えられたものなのだ。ヨーロッパを知ろうと思ったら、キリスト教、とりわけカトリックを知る必要がある。

(つづく)

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