日本製鉄によるUSスチール買収:期待される成果と懸念材料

国際未来科学研究所
代表 浜田和幸

九州製鉄所 イメージ    1901年に創業されたUSスチールですが、60年代までは世界最大の鉄鋼会社でした。しかし、日本や韓国、そして中国に追い抜かれ、粗鋼生産量は世界29位にまで落ち込んでいます。株式時価総額は世界一のアップルの1%にも至りません。このままでは設備の老朽化も進み、経営破綻も避けられない状況です。海外企業の技術開発や市場開拓に関心を払わず、自滅への道をひた走ってきました。

 同じく01年、福岡県に八幡製鉄として誕生した日本製鉄は新日鉄の時代に中国に大規模な技術移転を行い、中国を世界最大の鉄鋼強国に変身させた経験をもっています。78年、最高実力者の鄧小平氏が来日し、新日鉄の君津製鉄所を視察したのがきっかけでした。85年、新日鉄はODAの資金も援用し、宝山製鉄所を上海に完成させたのです。その宝武鋼鉄集団は日本の技術支援を受け、今では世界一の粗鋼生産量を誇っています。

 小生は、以前、新日鉄に勤務しており、宝山製鉄所から来日した中国人の技術者の受け入れ研修も担当していました。そのころは、新日鉄の本社は東京駅のすぐそばにあり、連日、右翼の街宣車が「中国に日本の技術を売り渡すな!」と反対の声を大音量で流していたものです。小生たち新入社員は上司から「君たちは万が一の場合は、身をもって中国人研修生を守れ!日本は戦争中、中国に多大の被害をおよぼした。その償いの意味も込め、我々は中国への技術支援を行うのである」と厳命を受けたことを今でも鮮明に記憶しています。

 鉄は産業のコメです。製鉄の技術は国家の発展や安全には欠くことができません。当時の中国は発展途上国でした。日本から侵略を受けたという被害者意識もあり、対日感情は決して良いものではありませんでした。しかし、新日鉄の当時の稲山嘉寛会長や藤井丙午副社長らは、そうした日本の負の遺産を払拭するために、日本企業として何ができるかを真摯(しんし)に考え抜いていたわけです。

 経営不振に陥り、世界的に市場を失いつつあるUSスチールを復活させようとする日本製鉄の熱い思いは、戦後間もない中国の再生に協力しようとしたものと相通じるものがあります。

 思い起こせば、USスチールと新日鉄の技術力の違いを世界に示したのが、73年に完成したニューヨークの世界貿易センタービルです。このアメリカを代表する高層ビルに使われたのが頑丈な特殊鋼でした。9階から110階までに使われた最新鋭の鋼材は4万3,000t。USスチールと新日鉄が競い合った結果、同品質でありながら、新日鉄の特殊鋼はアメリカ産よりはるかに低価格であったため、採用されたのです。余談ですが、世界貿易センタービルを設計したのは日系アメリカ人の山崎実氏でした。

 また、後にハイジャック犯が旅客機を衝突させ、高層ビルが相次いで崩落しましたが、航空機が激突した程度で破壊されることがないことは、事前の実験検査で明らかになっていました。真相はやぶのなかですが、FBIの内部告発によれば、各階にダイナマイトが仕掛けられていたため、ビルが崩壊したとのことでした。

 要は、世界貿易センタービルに使われていた日本製の特殊鋼は航空機の衝撃にも耐久性があったのです。そのためか、崩壊したビルのがれきや鋼材は中国政府がすべて買い取り、北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」に使っています。

 さて、先の大統領選挙期間中、鉄鋼労組の組織票が欲しいため、組合員の職を守るという大義名分でバイデン大統領(当時)もトランプ候補も日本製鉄の提案には反対していました。とはいえ、トランプ氏はバイデン氏と違い、選挙期間中も、ひそかに日本側に交渉妥結に向けて打診してきていたようです。

 それに鑑みれば、今こそ、両国の基幹産業が手を結び「日米鉄鋼同盟」という新たな安全保障政策に結びつける可能性を追求すべき時と思われます。そもそも、この買収計画は日本製鉄が2023年12月に発表し、USスチールも24年4月の臨時株主総会で承認したものです。

 日本製鉄はUSスチールの老朽化した設備を更新し、中国との市場争いに勝てるようにするために27億ドルの新規投資を行うとも明言。しかも、日本製鉄は24年、中国の宝武製鉄との半世紀に渡る提携関係を解消すると発表。米国の懸念に事前に手を打ったのです。

 しかも、日本製鉄は「USスチールの従業員は1人も解雇しない」と断言。それどころか、米国の従業員に1人5,000ドル、欧州の従業員に同3,000ユーロの臨時ボーナスを支給するとも発表。日本製鉄が米政府と締結した「国家安全保障協定」には「日本製鉄は2028年までに110億ドルを投資する」と明示されています。

 いうまでもなく、現在、対米投資額では日本が他国を圧倒しています。この点はトランプ大統領も無視できないはずです。選挙期間中は「自分がホワイトハウスにカムバックしたら、こんな買収は絶対に認めない」と明言していました。その理由は明らかで、鉄鋼労組が買収に反対していたためです。昨年11月の選挙では85万人の労組の組織票が欲しいため、組合員の職を守るという大義名分で日本製鉄の買収提案に反対していたに過ぎません。

 注意すべきは、日本製鉄の買収計画は、単なる商取引の域をはるかに超え、米国の中核経済インフラの牙を抜くことになる可能性を秘めているとの懸念が広がっていたことです。アメリカの鉄鋼メーカーのクリーブランド・クリフスはUSスチールの買収に名乗りを上げていましたが、買収提案額で日本製鉄に敗れました。そもそもクリーブランドが提示した買収金額は73億ドル。一方、日本製鉄は140億ドルを提示していました。これでは勝負になりません。

 その怨念があるのか、CEOであるゴンカルベス氏は「日本は1945年以来、何も学んでいない。日本は中国に鉄のつくり方を教えた。中国は恐ろしいが、日本のほうがもっと悪い」と、難癖をつけた言いがかりのような日本批判を展開したものです。

 こうした日本に対する偏見や誤解は、それほど大きくないものの、米国の軍事力に深刻な影響を与えることにもなりかねないとの懸念の声も聞かれます。米国の政策立案者、とくに国防関係者の間では、一見離れがたい同盟国である日本の企業といえども、中国、ロシア、北朝鮮などとの間では民生技術という名目で商業的に関わっている可能性があるとの危惧が払拭されていないのです。

 そうした観点に立てば、日本政府が、日米安全保障条約を放棄または裏切るよう求める強力な隣国からの圧力に抵抗できるかどうかは「未知の領域」に他なりません。要は、日本企業がUSスチールを所有することは二国間の防衛同盟を保証するものではなく、日本が米国の兵器調達能力を低下させ、米国の安全保障上の立場を阻害する恐れがあるとの不信感が払拭されていないのです。

 日本政府も日本製鉄もこうした米国内に残る根深い日本警戒論を把握し、対策を講じる必要があります。残念ながら、日本政府は民間企業のM&Aには関与しないとの姿勢で、日本製鉄もUSスチールとは交渉を進めてきましたが、労組との話し合いは上から目線の弁護士事務所に任せっ放しでした。

 結果的に、労働者の視点が無視されたことで交渉がこじれ、2年近くも時間が浪費されたあげく、米国政府の介入をもたらしたわけです。とはいえ、トランプ大統領が合併を承認すると英断を下したため、状況は一変しました。

 世界一を誇る中国からの鋼材の輸入を迎え撃つために、「日米鉄鋼同盟」という新たな安全保障政策に結びつける可能性もトランプ大統領には響いたのかもしれません。米国に世界から企業や工場を呼び寄せ、米国人の雇用を拡大したいと意気込むトランプ大統領にとって、重要な政策変更には拒否権を行使できる「黄金株」を米国政府にもたせるとの日本製鉄からの提案が決め球になったもようです。

 問題は日本製鉄が払い込みを終えたUSスチールの全株取得費用141億ドル(約2兆円)と追加投資金額を加えると実質的な買収総額は251億ドル(約4兆円)に達することです。これは日本製鉄の時価総額を大幅に上回ります。はたして、USスチールの再建を成功させ、日本製鉄の株価上昇に結び付けることになるのでしょうか。大いに期待するところです。


浜田和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局などを経て現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選をはたした。11年6月自民党を離党、無所属で総務大臣政務官に就任し震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。著作に『イーロン・マスク 次の標的』(祥伝社)、『封印されたノストラダムス』(ビジネス社)など。

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