自然災害リスクと同居する日本人(後)
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拓殖大学 地方政治行政研究所 客員教授 濱口 和久
「津波防災の日」と「津波てんでんこ」平成23(2011)年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、津波によって多くの犠牲者が出た。日本政府はこれを踏まえて同年6月、「津波対策の推進に関する法律」を制定した。そして、広く津波対策についての理解と関心を深めることを目的として、毎年11月5日を「津波防災の日」と定めた。
11月5日は『稲むらの火』のモデルにもなった安政南海地震の起きた日にちなんだものだ。『稲むらの火』とは、安政元(1854)年の安政南海地震津波に際し、紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で実際にあった話で、地震後の津波への警戒と早期避難の重要性を説いたものである。
簡単に内容を紹介したい。
「村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた」という話である。ちなみに12月4日、日本が呼び掛け、内陸国も含む140カ国と共同提案した「11月5日を『世界津波の日』と定める決議」が、国連総会第2委員会で採択された。
日本最大の津波は、明和8(1771)年4月24日、沖縄県の八重山・宮古列島を襲った八重山地震津波である。このときの津波の高さは、石垣島の南海岸で最大85メートルにも達したとされている。石垣島では島の面積の約40パーセントが波に洗われ、島の人口約1万7,000人の半数が犠牲となった。
東日本大震災では、岩手県大船渡市の綾里湾で局所的に遡上高(海岸から内陸へ津波がかけ上がった高さ)40.1メートルを記録する津波が起きている。約40メートルの高さは13階建のビルとほぼ同じ高さである。想像するだけでも恐ろしい高さだ。
明治29(1896)年6月15日の明治三陸沖地震津波では、地震発生から30分あまりたって、最大38メートルの津波が三陸沿岸を襲い、国内で歴史上最大の津波による犠牲者(2万1,915人)を出した。
「津波てんでんこ」という言い伝えが三陸地方には残っている。「津波の襲来を予感したら、周辺の人にかまわず、てんでんばらばらに逃げて、自分だけでも助かれ」という意味だ。この言葉を世に広めたのは、津波災害に関する多くの著書で知られる作家の山下文男氏である。
山下氏は、「津波てんでんこ」には「自分の命は自分で守る」というだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という意味もあり、日ごろから災害弱者(子どもや老人)を助ける方法なども話し合って決めておこうという意味があるとしている。津波が起きることを人間の力で防ぐことはできない。日ごろから津波に対する歴史の教訓と知識を身に付け、早期に避難することを心掛けるしか、津波から自分の命を守ることはできないのである。備えあれば憂いなし
日本人は自然災害から絶対に逃げることができない運命にあるという覚悟が求められている。とくに首都直下地震や南海トラフ巨大地震がひとたび起きれば、壊滅的な被害を受けることになる。「備えあれば憂いなし」という諺があるが、被害を少なくするためには「備えあれば憂いなし」の心掛けこそが必要なのだ。
(了)
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