無知学(アグノトロジー)と仮想的有能感、そして空気

大さんのシニアリポート第150回

 かつて実に困った人がいました。運営していた高齢者の居場所「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)で、回想法(昔の懐かしい写真や音楽、馴染み深い家庭用品などを見たり触れたりしながら、過去の経験や思い出を語り合う心理療法)を担当していただいたTさんが、ある時からスクリーンの待ち受け画面を右翼の街宣車の写真に変更したのです。「テレビは本当のことを報道しない。インターネットの情報だけを信じる。間もなくTBSテレビと朝日新聞は潰れる」と豪語して来亭者を驚かせたことがあった。Tさんが突然ものの考え方を急変させたのはそれなりの理由があるはずだと思うのですが…。

根も葉もない陰謀論や
フェイクニュースが拡散した結果…

サロン幸福亭ぐるり イメージ    興味深い記事を読んだ。「『無知学』から見える世界」(朝日新聞25年10月29日)と題して鶴田想人氏(科学史研究者)が述べている。無知学とは、「『私たちは何を、なぜ知らないのか』ということを出発点に、社会や歴史事象を分析していく学問」のことだ。「事実かどうかより、自分の感情や政治的信念のほうが優先され、真実が二の次になってしまう状況です。根も葉もない陰謀論やフェイクニュースが拡散され、選挙の結果を左右した。うその情報によって、何が真実か分からなくするのは、まさに無知をつくり出す技術そのものです」。

 トランプ大統領の存在の大きさを指摘しながら、2016年の大統領選では「ポスト・トゥルース」という流行語を生んだと指摘する。「無知学は主につくられた無知を研究対象とする」(『無知学への招待』鶴田想人、塚原東吾編著 明石書店)と定義する。何かの目的のために意図的に無知をつくり上げるのである。

 たとえば今回の参議院選挙時、事実に基づかない排外主義的な主張や、戦争を美化する歴史修正主義を語る候補者の主張がSNSで拡散され、若者を中心に大きな影響を与えた。面白くて刺激的な噂ほど拡散しやすいものはないし、噂の真偽をたしかめる人などいない。こうして噂は1人歩きを始める。

一方的な思い込みや
仮想的有能感が支配する恐ろしさ

 かつて日本でも似たような現象があった。16年7月26日、植松聖(当時26歳)が神奈川県の知的障害施設「津久井やまゆり園」で、職員と最重度の知的障害者(話すことができない)を重点的に襲い、19人を刺殺、26人に怪我を負わせた。

 植松は衆院議長公邸に犯罪予告の手紙を持参したり、園周辺の家に「障害者なんて生きていても無駄」などと書いた文書をポスティングしたり、「動けない、話せない障害者はごみ」「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と発言したり、「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」「障害者はいらないから殺したいのに、政府が許可してくれない」(「朝日新聞」平成28年8月16日)という実に身勝手で強い差別意識をもつ。

 植松の頭のなかには仮想的有能感(「いかなる経験も知識も持ち合わせていないにもかかわらず、自分は相手より優秀であると一方的に思いこんでしまう錯覚のこと」(心理学者速水敏彦氏の造語。『他人を見下す若者たち』講談社現代新書より)があったと考えられる。

 14年に起きた川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町殺人事件」も同様だ。同ホームの介護職員・今井隼人が、被害者3人を含む複数の入所者から現金や指輪など計80万円相当を盗み、3人から「犯人扱いされた」ことに対して単純に口を塞ぐために投げ殺したと推測される。一方で、「救急救命士という、国家試験を義務づけられた比較的高いハードルの資格を有する人間(今井容疑者)が、自分より能力の劣っている役立たずの入所者になぜ尽くさなくてはならないのか」という優越感と偏見を併せ持つ人物でもあった。

 また1983年に横浜市内で起きた「路上生活者殺人事件」もそうだ。20歳未満の少年たちの犯罪で、河川敷で生活する路上生活者を襲ったという事件である。その理由が「汚い浮浪者を始末してやった。町内美化に協力してやった。清掃してやったのに、なんで文句をいわれるのか分からない」という1人よがりなもの。自分たちは路上生活者を抹殺できる立場にいるという勘違い。いずれも仮想的有能感の持ち主たちである。

「無知学」と「空気」とは
どこか共通するものを感じる

サロン幸福亭ぐるり イメージ    鶴田は、「意図的な無知と構造的な無知のハイブリッドとして分析できると思います。政治的動機からにせよ、お金のためにせよ、デマを流す人は確実にいる。しかし、そうしたデマを増幅させているのは今日の情報環境である部分が大きい。実際、フェイクニュースは事実よりも速く遠くまで拡散することが研究で示されています。今後はAI(人工知能)が、現実とほとんど見分けがつかない『ディープフェイク』を半ば自動で生み出していく可能性もあります」と指摘する。恐ろしいことである。前述の仮想的有能感の所有者たちが共有する「身勝手な発想」と「無知学」とは同じ土壌にあるような気がする。

 「ぐるり」でのTさんのように、ある時突然「目覚め」、自己の正当性を「ぐるり」という高齢者の居場所(Tさんも「ぐるり」の常連客と似た年齢)で発言し、共感を得ようとしたのだろうか。Tさんはもともと自己顕示欲の強い人物で、持論が否定されると激高するという性癖の持ち主という関連性も考えられる。

サロン幸福亭ぐるり イメージ    鶴田氏は、「自分たちの認知のクセを知っておくことが大事だと思います。心理学でいわれるように、人間にはさまざまな認知バイアスがあり、私たちは見たいものを見て、信じたいものを信じてしまいやすい。個人が群衆化して集団に埋没することで、冷静な判断を失ってしまうことも知られています。私たちの認知や心理の在り方にも、『無知』を生み出すメカニズムがある」「ポスト・トゥルースが進み、歴史修正主義によって過去の『記憶』があいまいになることで、いつの間にか戦争が美化され、つまりその残酷さを忘れ、再び歴史を繰り返すのではないかと危惧しています。『真実』があやふやになると、私たちは権力に対して脆弱になります」と警鐘を鳴らす。戦後80年、ナチスの台頭も日本国民として太平洋戦争を止められなかったのも「群集心理の暴徒化」、つまり「無知」にあったと思う。

 山本七平の『「空気」の研究』(文藝春秋)という名著がある。七平は、「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である」と定義付ける。「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、全般の空気よりして、当時も今日も(大和)特攻出撃は当然と思う(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言が出てくる。大和の出撃は無謀とする人々にはすべて、それを無謀と断ずに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。

サロン幸福亭ぐるり イメージ    だが一方、当然とする方の主張はそういったデータないし根拠はまったくなく、その正当性根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない」と断じる。「空気を読め」とは現在もよく使われ、生きている。確かに空気は「絶対権を有した妖怪だ」と思う。無知学にある「根も葉もないフェイクニュース」と「仮想的有能感」、そして山本のいう「空気」。どこか似通った「感触」を覚えるのは私だけではないだろう。

 さて、「ぐるり」のTさんの行動と考え方は最後まで周辺の人たちに受け入れてもらえず、「ぐるり」での講義も事実上の出入り禁止でうやむやになった。人づてに、Tさんの家のテレビはNHKの受信料の未払いのうえ、故障で見られなくなったと聞いた。ネット検索の得意なTさんは、「ネトウヨ」的な文言に酔いしれたのだろう。この2年ほどTさんを見かけなくなった。近所の人に聞いても誰もTさんの行方を知る人に出会わない。心配してはいるのだが…。


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

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