縄文アイヌ研究会 主宰 澤田健一
今回は縄文時代のムラの様子を見てみましょう。皆さんも、おそらく聞いたことがあると思いますが、縄文人は竪穴住居に住んでいました。本州では床面を数10cm掘り下げているのですが、北海道には2m以上も掘り下げた大型竪穴住居が存在しています。
おそらくこれは寒冷地対策だったのだと考えます。地面をある程度以上掘り下げると水も凍らないのです。大寒波に襲われたときに、皆が低い床面に集まって身を寄せ合えば、凍死を防げたでしょう。縄文時代が始まったころの地球は最後の氷河期の真っただなかだったのです。そして、この深く掘り下げた竪穴住居は樺太からシベリアまで広がっていきます。こうして氷河期の寒冷地を生き抜いていたのです。
また、各地の縄文集落では、死んだ幼児や嬰児を甕に入れて住居内に葬るという習俗がありました。とくに入口の下に埋めていました。そうすると、住居を出入りするたびに死んだ子どもを踏んづけて通ることになります。なぜ、そんな罰当たりなことをしていたのか、考古学者は誰1人として理解できませんでした。
ところが、同じ習俗がアイヌにも残っていたのだと梅原猛さんが書き残してくれています。アイヌは輪廻転生を信じていて、死んだご先祖さまが遠い所から帰ってきて生まれ変わるのだと信じていました。それなのに、生まれてすぐ死んでしまったら、また遠い所へ戻って行かなければならない。それでは申し訳ないので、人通りの一番多い所に埋めて、すぐ次の赤ちゃんとなって生まれ変わってください、そう願って埋めていたそうです。
こうして、アイヌは縄文の習俗を引き継いでいるばかりか、その意味までを伝えているのです。アイヌが伝え残していてくれなければ、その縄文の習俗は永遠に理解できなかったことでしょう。
この子どもを甕棺に入れて住居内に葬るという習俗は、黄河文明の遺跡でも発見されています。大人は集落北方の集団墓地に葬るのですが、子どもだけは甕棺に入れて住居内に葬っているのです。こんな特殊な埋葬習俗が他民族に見られるのは不自然です。つまり、黄河文明を築いたのは縄文人なのです。そして、そこから大量の縄文土器が出土しているのです。
また、縄文集落には数10から多い所では200以上の貯蔵穴がありました。大きな穴をいくつも掘って、クリやクルミなどの堅果類を貯蔵していたのです。それらの堅果類は野生の木の実ではなく、人工林であったことが遺伝子から分かっています。人工的に植林して木の実を満載にしていたのです。ですから漁撈や狩猟が不調だった日でも、飢えることがないのです。
こうして縄文人は、いつでも食料を口にすることができる安定した生活を送っていました。そして狩猟によって、シカやタヌキ、イノシシ、ノウサギ、クマなどを捕獲していました。また漁撈によってカツオやマグロ、タイなどの魚や、全長5mもあるメカジキや、さらに大きいクジラまで捕獲していたのです。
さらには季節ごとの野生のワラビやゼンマイ、ニワトコなどの植物を採取していました。旬の食材を上手に利用していたのです。こうして縄文のムラでは、狩猟・漁撈・採取によって暮らしていた、とされてきました。
しかし、筆者は原始農耕もやっていたはずだと主張してきました。
「磨製石斧は焼畑農耕において、樹木伐採には欠かせない重要な道具である。またドングリなどの木々を植える時も、原始林の伐採をしてからの作業となる。 縄文時代には、こうした原始農耕が営まれていたようだ。このスタイルの農耕であれば石斧一本あれば事足りる。他の農耕具を必要としないのだ。縄文遺跡から農具が出土しないからと言って、縄文時代には農耕が無かったと判断するのは短絡的すぎるのである」(『古代文明と縄文人 復刻版』高木書房P214)
「縄文時代にも稲作があったのだが、それは小規模な焼畑農耕であり、しかも他の作物との混作であったようだ。このようなイネを混作する縄文農耕スタイルは、今でもカリマンタンに残されている」(同P215)
この主張の正当性が、今年五月に農研機構によって示されました。
((研究成果) アズキの栽培化が日本で始まったことをゲノム解析で明らかに)
この研究報告によるとアズキの栽培は日本列島内で開始されたことが判明しました。野生の小さな黒いヤブツルアズキから、大きく赤い栽培アズキへと変化していったのです。その変化は約1万3,000年前に始まり、1万年前には完全に栽培アズキとなっています。この変化が自然に起こることはなく、必ず人為的な作業を必要とします。つまり、縄文時代にも農耕を行っていたことが科学的に立証されたのです。
こうして、縄文時代の本当の暮らしとは、狩猟・漁撈・採取、そして農耕によって支えられていました。自給自足が完全に成り立つ、永久的に安定した社会だったのです。だからこそ縄文時代は1万年以上もの間に、戦争が1回も発生しない平和な社会だったのです。
栽培アズキの伝播経路・成立過程(農研機構)








