鹿児島大学名誉教授
ISF独立言論フォーラム編集長
木村朗
11月7日の衆院予算委員会での高市早苗首相の「台湾有事・存立危機事態」発言は、日本と中国の関係を極度に緊張させつつある。
この高市首相の発言に、中国政府は激しく反発し、日本への渡航自粛措置などを取り、日本の経済状況にも悪影響が出始めている。
そこで、今回はこの問題を取り上げて、日中関係の現状と課題、東アジアの平和・安全保障の在り方を考えてみたい。
高市発言の衝撃と波紋
11月7日の衆院予算委員会で立憲の岡田克也氏が高市首相に対し、台湾をめぐってどのような状況が、日本にとって「存立危機事態」にあたるのかと質問した。
それに対して高市首相は、「(台湾有事が)戦艦を使って、武力の行使を伴うものであれば、これは“どう考えても”存立危機事態になり得るケース」と答弁した。
この高市首相の発言に、中国政府は激しく反発し、外交問題に発展することになった。
中国の薛剣・駐大阪総領事は8日にX(旧・ツイッター)で、高市首相の国会発言に関する報道記事を引用し、「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬のちゅうちょもなく斬ってやるしかない」とコメントを書き加えた。これに対して、日本の木原稔官房長官は10日の記者会見で、薛氏の発言の趣旨は「明確ではない」ものの、「極めて不適切」だと述べた。薛氏の投稿はその後、削除された。
高市首相は10日に、自身の行った発言の撤回を否定し、「政府の従来の見解に沿ったもの」と主張した。ただ同時に、特定のシナリオについてコメントすることは今後は慎むとした。
一方、今回の高市発言を引き出す質問を行った立憲の岡田克也議員に対して、政府・与党の一部や高市首相の支持層から、「しつこく聞いた岡田氏が悪い」という感情的な批判まで出た。さらに、それをSNSばかりでなく、主流メディアが煽るような報道をし始めたというのは、今の日本の「新しい戦前」ともいわれる危うい状況を物語っている。
そして、この日中双方のとげのあるやり取りはいまもなお続いており、長期化する兆しを見せている。
「尖閣諸島」問題をめぐる軋轢の再燃を懸念
今回の高市発言を考えるのに参考となるのは、民主党の野田政権当時に生じた「尖閣諸島国有化」問題をめぐる日中両国間の軋轢・対立である。
その先行事例が、2010年9月7日の尖閣海域中国漁船衝突事件である。
この事件は日本の自作自演だともいわれるが、ここでは詳細は省かせていただく(植草一秀【連載】知られざる真実/2025年11月25日 (火) 高市米国傀儡政権の末路を参照)。
その後、12年当時、香港の活動家たちが「釣魚島は中国の領土」だと主張し、尖閣諸島の一部の島への上陸を繰り返し試みたことを受け、日本政府は当時私有地だった尖閣諸島の「国有化」を9月に宣言し、中国と鋭く対立した。
日本政府は沖縄県石垣市の尖閣諸島のうち、民間所有の魚釣島、北小島、南小島の3島を20億5,000万円で購入することを閣議決定した。他の島はすでに国有地か、米軍の射爆場としての賃借地であった。中国も領有権を主張する尖閣諸島の国有化を境に、日中関係は極度に冷え込んだ。
野田佳彦首相の国有化決断の背景には、東京都の石原慎太郎知事が4月に3島を都が買い取る考えを示したことがある。尖閣諸島への自衛隊配置や構造物建設などを唱えていた対中強硬派の石原氏のもとで都が所有するより、日中関係の摩擦を抑えやすいと考えて動いたという(こうした石原知事や野田政権の拙速な対応の背後には米国の圧力もあった、という指摘も出されていた)。
しかし、この国有化構想は中国に説明する前に報じられ、中国が抗議するなかでの閣議決定となったことで、中国側の反発は一層大きくなった。中国公船が尖閣諸島周辺に大挙して現れ、日本の領海に侵入する事案が繰り返されることになった。
中国側の反発は激しく、その影響は多方面に拡大した。反日デモの余波でホンダ技研工業やパナソニック、キヤノンなど日本を代表する企業が中国工場の稼動を停止し、日本人社員数百人が安全のために自宅待機する日々が続いた。日本製品不買運動により、同年9〜10月の中国内の日本車販売台数が前年同期に比べ半分近く減少し、12年の対中国輸出額は前年に比べて10%以上減少するなど、経済的被害も深刻だった。
今回の高市首相の発言に対する対応と同様に、中国政府は当時も中国国民の日本への渡航自粛を呼びかけたが、集計によると、1年間で減った中国および香港人の訪日観光客は対前年比25.1%に達した。反日デモが続き、一部の日系スーパーで器物破壊と略奪が発生するなど、中国在住の日本人の安全も脅かされた。「釣魚島は中国の領土」「日本人は出て行け」などのスローガンとともにデモ隊数千人が駐北京日本大使館前で石を投げたこともあった。
日本側では、尖閣諸島をめぐる中国側の対応の背景に、新たに国家主席に就いた習近平氏が政権基盤強化に利用しているのではないかとの見方も出ていた。
台湾有事と高市首相「存立危機事態」発言
前述したように、高市首相の台湾有事発言に中国が強く反発しているが、この中国の反応は、これまでの経緯を考えれば当然のことだ。
台湾問題について日本と中国は1972年の国交正常化の時点で明確な取り決めをしている。日中共同声明に記された文言は、次の通りである。
《二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。》
日本国政府は、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」との「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」とし、さらに、「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした。
これに対して、政府・与党とそれに追随するメディアは、「台湾が中国の領土の不可分の一部という中国の主張を日本政府は承認していない」と強調している。
しかし、孫崎享氏(元外務省国際情報局長)が自身のXで指摘しているように、当時の栗山担当条約課長も、日中共同声明中「ポツダム宣言第八項に基づき、台湾の中国への返還を認める」との立場は、台湾が中華人民共和国政府によって代表される中国に返還を我が国が認める→「2つの中国」「1つの中国、1つの台湾」は認めない(すなわち、台湾独立は支持しない)、ということを確認している。
また、植草一秀氏(政治経済評論家)も自身のブログで、次のように指摘している(植草一秀の『知られざる真実』2025年11月30日 (日)「テレ東豊島晋作解説は零点」)。
《日中共同声明の交渉で日本が「理解して尊重する」と提案した際に中国が拒否したという重大事実が存在する。結果として「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」が書き加えられて決着した。》
このような経緯からしても、日本政府が、「台湾が中国の領土の不可分の一部という中国の主張を承認していない」というのは無理があると言わざるを得ない。
高市発言は、「台湾有事で米軍が展開されれば日本の存立危機事態になる可能性が高い」としたものである。
※「存立危機事態」とは、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
これは、具体的には日本が攻撃を受けていない段階でも中国に対して宣戦布告するという意味であり、これまでの歴代日本政府の答弁とも明らかに異なるものである。
この日中両国間の友好信頼関係を根底から覆す高市発言は、中国側から「旧敵国条項」にかかわる発言を出させる事態を招くに至っている。
※在日本中国大使館は21日、Xで、日本など第二次大戦時の敗戦国を対象とした国連憲章の「旧敵国条項」を挙げて「安全保障理事会の許可を要することなく、直接軍事行動を取る権利を有すると規定している」と投稿した。
この高市発言は、東アジアでの日中間の緊張激化からさらなる軍事衝突を招きかねない発言であり、従来の日本の専守防衛政策を逸脱する憲法違反の暴言であると言わざるを得ない。日本政府は、これ以上の日中関係の悪化を防ぎ、日本が「第二のウクライナ」にならないためにも直ちに撤回するべきである。
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