一日も早くすべての拉致被害者の帰国を 拉致被害者・曽我ひとみさんの切なる思い

 毎年12月10日からの1週間は「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と定められている。北朝鮮による拉致問題について理解を深めてもらう趣旨で、11月30日、福岡市で拉致被害者の曽我ひとみさんによる講演会が開催された。講演に先立ち曽我さんはデータ・マックスの単独インタビューに応じ「北朝鮮にいる母の無事を信じている」「すべての被害者の帰国を」と痛切な思いを語っていただいた。

小泉訪朝以降、進展しない日朝交渉への不安

曽我ひとみさん
曽我ひとみさん

    ──2002年の小泉純一郎元首相の訪朝で、4人の方々が帰ってこられて、その後、曽我さんご家族も日本に帰国されたのですけども、拉致被害者ご家族のお立場としてうかがえればと思います。

 曽我ひとみ(以下、曽我) 私たち4人が帰国しまして、きっとそれに続いて帰国される方がいるのではないかとの思いがあり、母のこともあって励みにしてまいりました。5年、10年、15年と経過していくなかで進展がほぼ見られず、国家間の水面下では何か動いているのかもしれないのですけど、自分たちのところまで伝わってくることがなくて、本当に交渉していてくれるのかなという不安のなかで、生活をしてきました。 

 家族会(拉致被害者家族会)で一緒に活動をされていた横田めぐみさんのお父さん、横田滋さん、有本嘉代子さん・有本明弘さん。有本恵子さんのご両親ですが、愛するご家族に会えないまま他界されました。本当に胸が痛いです。母(曽我ミヨシさん)は12月で 94歳になりますが、本当に元気でいてほしいと願うばかりです。自分もできる活動として地元の学校を回って子どもたちに話をしたり、全国でお話をしたりする機会が増えてきているので、一日でも早く全員が日本に帰国できるようとの思いで活動している状況です。

 ──北朝鮮に残されたお母さんへの思いは。

 曽我 母はすごく優しい人で働き者でした。自分が大変だっていう時でもすごく明るくしてくれて、私たちは姉妹なのですけど、母のおかげで私たちは、悲しい思いもせずに生活できました。自分のことを全部犠牲にして私たちのためにやってくれた母に今一体何ができるのだろうと考えます。子どものころは勝手なことを言ってわがままも言いましたが、「元気でいてほしい」。本当にその気持ちだけです。年齢が年齢だけに、すごく心配をしております。日本であれば外出したり花を植えたりして過ごしていると思います。北朝鮮は医療や食料なども十分ではなく、周りでお世話をしてくれる人がどこまで助けてくれているのか。元気であきらめずにいてほしい。本当にそれだけの思いで活動を続けています。

北朝鮮に残る家族が無事か不安の日々

拉致について語る曽我ひとみさん
拉致について語る曽我ひとみさん

 ──北朝鮮での生活はどのようなものだったでしょうか。

 曽我 自由がありませんでした。いつも指導員や監視員が店に買い物に行く際に必ず一緒について来て、監視をしていました。他の人と話しができない状況でした。子どもたちも学校に通ってはいたのですが、学校に行って学校の様子を見るとか、先生に何かお話を聞くとか、そういったことができませんでした。親として子どもの成長をこの目で見たいものですが、日本だと当たり前にできることができなかったことがすごくつらかったです。

 ──19歳で拉致されたということは、日本でいえば高校を卒業した頃です。

 曽我 私の場合は夜間高校に通っており、4年生でした。卒業もできずに北朝鮮へ連れていかれました。

 ──小泉首相が訪朝して、当時の官房副長官は安倍晋三元首相でした。安倍さんは拉致問題担当の内閣官房参与・中山恭子さんとご自宅にお見えになったそうですね。

 曽我 本当に親身になって一生懸命に対応してくれたので、本当にありがたく思いました。一時帰国ということで日本へ戻りましたが、その後政府の方針として帰さないということになって、気持ちのなかではしばらくの間、不安でした。本当に悩みに悩みましたけども、別に行きたくて行った国ではありません。日本に残るのが当たり前だということはわかっていても、なかなか北朝鮮の家族のことを考えると、私が帰ればそれで丸く収まるっていう気持ちもあり、子どもたちのことを考えると不安でした。

 ──ご主人のジェンキンスさんやお子さんは北朝鮮に。

 曽我 本当にわからない状況でした。政府からは「ちょっと時間はかかっても帰国できるようにします」と仰ってくれていたのですが、それがはたしてそんなに簡単にできることなのかっていうことを考える日々でした。

 ──拉致被害者の親世代の方は横田早紀江さんだけとなりましたが、なかなか北朝鮮との交渉が進んでいません。

 曽我 時間だけが過ぎて、向こうにいる人たちも、日本にいるご家族もそうですし、年々歳を重ねて、体が弱っていかれている状況なので、本当に時間がありません。日本政府として最後の決断をしっかりとして、政府・総理が交渉の場で出してくれることを願うばかりです。

 もちろん拉致問題に関心をもっていただいているのは、本当にすごくありがたいなと思っていますが、講演会に皆さんがきてくれて、話を聞いてくれて、そこで終わりではなく、拉致問題は終わっていないことを多くの人たちに繋いでいってほしいと思います。私たちはすべての家族が「ただいま」「おかえり」といえるその日を信じています。拉致問題は今も続いているわけですから何とかしないと、このままでは本当にご家族も報われません。無理やり連れていかれた全員を一日も早く取り戻していただきたいと思います。

【近藤将勝】


<プロフィール>
曽我 ひとみ
(そが ひとみ)
1959年5月生まれ。1978年8月、定時制高校卒業を目前に母親のミヨシさんとともに北朝鮮に拉致された。2002年に日本へ帰国後、04年、夫のチャールズ・ジェンキンス氏や家族と日本で再会。新潟県佐渡市で暮らしながら、現在も拉致被害者として全国各地の自治体や学校で自身の体験を語る活動を行っている。

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