インド視察から学ぶ、インドの時代がくる(7)トクスイコーポレーション会長インタビュー

 資源は枯渇する。市場は縮小する。競争は激化する──。だからこそ「先手必勝」だと語るのが、(株)トクスイコーポレーションの徳島建征会長である。以西底引網漁の全盛と崩壊を経験し、自社船団を縮小しながらも、水産という原点を捨てず世界へ活路を求めてきた。インドやベトナムを視察した今、徳島氏は中小企業にこそ海外に打って出る機会があると見る。漁業から商社型モデルへと転換した経営哲学と国際戦略を聞いた。

トクスイコーポレーションの海外展開

徳島建征 氏
徳島建征 氏

    ──貴社の海外ビジネスは、日本市場の限界を見据えての開拓だったのでしょうか。

 徳島建征氏(以下、徳島) いえ、むしろ「魚を獲る場所」の問題です。私たちの歴史は徳島の日和佐という小さな漁村から始まり、五島列島を経て、1934(昭和9)年、福岡市の誘致でここに来ました。当時は以西底引網漁が中心でしたが、戦後は技術向上で漁獲量が増える一方、韓国や中国との競争が激化し、大陸棚の資源が枯渇しました。底引網は根こそぎ獲ってしまうため環境負荷も大きく、資源が回復しにくいのです。そこで日本近海を離れ、世界中に漁場を求めたのです。

 地中海、北太平洋、オーストラリア、インドネシアと、文字通り世界中の海へマグロやタラ、エビを求めて展開しました。しかし、各国が安全保障や資源保護を重視するなかで、外国船が操業できる海域は減少し、最終的に漁業として残ったのはインドネシアだけになりました。

 現在はインドネシアで獲ったものを日本や他国へ売る貿易が主軸です。かつては自ら船を出す漁師の会社でしたが、今はエビを除き、自社で船を出すことはほぼなくなり、海外の漁師から買い付けて加工・販売する商社に近いかたちに変化しました。

 ──海外事業では、失敗もあったのではないですか。

 徳島 90年代に名誉会長が米国のピザチェーン「ラウンドテーブルピザ」のライセンスを取得し日本展開をしましたが、拠点が分散するなど戦略がまとまらず、思うほどの成果をあげられませんでした。しかし、その後、米国・アラスカの水産会社を買収し、売上を10億円規模から200億円規模にまで成長させた成功例もあります。ただ水産資源は気候変動の影響を大きく受けるため、10年先も同じ魚種が獲れる保証はありません。常に次の可能性を探し続ける必要があります。

水産業へのこだわり

 ──75(昭和50)年ごろは、以西底引網の業者だけでも50社以上あったと記憶していますが、今やほとんど残っていませんよね。陸(おか)に上がって、上手に別の事業に転換したところも多いですね。

 徳島 昭和50年代から業者の淘汰が進みました。91(平成3)年には、増田(現・増田石油)と当社が同じ日に底引網をやめるということもありました。

 ──生き残ったところも、業態を大きく変えています。たとえば、廣田商事は不動産業を行うかたわらスタートアップのインキュベーションビルを運営するなど面白いビジネスモデルを構築しています。増田さんは石油販売業、富永さん(福岡運輸)は運送倉庫業へと舵を切られました。

 徳島 富永さんは、もともと私と同じ流れを汲む家系ですが、戦後、今の運送倉庫業に至る新しいモデルを開発されました。そうしたなかで、オリエント産業以外で、発祥であるビジネスにこだわっているのは、当グループくらいかもしれません。

 ──漁業とその周辺事業を貫く強い意志があったのですか。

 徳島 漁業を軸に据え、残せるものは残そうと取り組んできました。もちろん、時代に合わせてかたちは変えています。自社で船を出す「漁師」の時代から、今では海外から買い付けて加工・販売する「商社」に近いかたちになりましたが、あくまで魚という原点からは離れていません。

 ──魚を獲るだけでなく、周辺のサプライチェーンも強化されましたね。

 徳島 水産資源とお客さまの間にどのような価値をつくれるかと考え、食品卸(トクスイフーズ)や冷凍・物流といったサプライチェーンの高度化を進めました。かつては缶詰やかき氷などBtoCのメーカーとして高いシェアをもっていた時期もあります。

 ──そうした周辺事業も競合が激しくなったのではないですか。

 徳島 どの分野でも最終的には競争が激しくなります。そのなかで「選択と集中」を行ってきた結果、一時は事業領域が狭まったように感じたこともありました。しかし原点である水産という得意分野で世界に挑戦し続けることが生き残る道だと考えています。

インド・ベトナム視察

 ──今回のインド視察はいかがでしたか。

 徳島 正直、10年前のベンガルールはもっとキラキラしたイメージでしたが、再訪して大きな変化に驚きました。すさまじい渋滞とクラクションの音で、まさに「カオス」でした。しかし、このカオスの勢いこそが今のインドです。以前は「信用できない」と言われたビジネス環境も、今は欧米的なルールや契約を守る「普通の商売」ができる組織的な土壌が整いつつあると感じました。

 ──ベトナムと比較してどうですか。

 徳島 ベトナムはインドと比べ信号機が多く、社会インフラの整備においてインドの10年先を行っている感覚です。社会主義国でありながら非常に自由な雰囲気で、韓国企業も大量に進出しており、事業を行いやすい市場に見えます。インドはカースト制度などの壁もありますが、今の経済発展の段階は、中小企業にとっても「先行者メリット」が得られるチャンスがある時期だといえます。

 ──海外事業での人材はどう確保されていますか。

 徳島 当社がインドネシア拠点を置くのはニューギニア島のソロンという場所で、なかなか日本人が定着しません。以前は漁師が現地生活を楽しみながら仕事をしていましたが、今は環境が異なります。そこでJICAに相談し海外協力隊の経験者を募集したところ、現地の過酷な環境にも適応できる優秀な人材が来てくれました。これを機に、JICAとの連携を深めています。

今こそ先手必勝の機会

トクスイコーポレーション 社屋
トクスイコーポレーション 社屋

    ──中小企業の海外進出についてどうお考えですか。

 徳島 日本は少子高齢化で市場が縮小し、競争が激しくなる一方です。世界に目を向ければ、選択肢と可能性は確実に広がります。福岡商工会議所としても、中小企業が可能性を感じられるような、きめ細やかな視察やニーズの掘り起こしをすることが必要です。インドのような国が中進国へと向かう今のタイミングこそ、トライすべき時だと思います。

 ──商工会議所は早くから国際業務を行っていますね。

 徳島 福岡市が中国やアメリカ、ドイツなどと交流を始めたころから事務局があります。ただ、福岡商工会議所として国際関係に関する常設委員会を立ち上げて以降、今回のような視察は初めてかもしれません。検討委員会は何度か立ち上がっては提言して消える、という経緯を繰り返してきました。「会員のニーズがどこにあるのか」が判然としない部分もあったのでしょう。当社に声がかかったのは、海外から魚を調達し、加工・輸出入を行ってきた実績を評価いただいたためだと思います。

 ──福岡商工会議所の田中さんは変わりましたね。マレーシア赴任の経験を踏まえ、自信あふれる人材になられました。

 徳島 もともとああいう方ですが、年齢や業種、業界を問わず、それこそ気の弱い方から存在感が大きな方まで、非常に幅広く対応できるようになりましたね。経験が己を鍛えていくように、もはや事務局職員というレベルを超えています。構想のいわば霞や靄のような状態から、実態が見通せるところまでもっていく力は、昔からお持ちでした。彼はBtoB分野で非常に馬力があり、「好奇心と興味の塊」のような方で、色々な組織・人とネットワークでつながっています。

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