【追悼】不屈の経営魂 黒木透氏永眠 まだまだ早すぎた

黒木透氏    (株)ディックスクロキのオーナーであった黒木透氏が、3月29日(日)の朝、永眠された。

 3月31日午後1時から、福岡草苑にてしめやかに葬儀が営まれた。享年71歳である。筆者よりも7歳若く、本当にまだまだ「早すぎた」と悔やまれる。葬儀場では悔しさと悲しさで涙腺が緩み、周囲の目を意識してしまうほどであった。

がん宣告から5年

 2カ月前、「透氏が自宅静養になった」という話を耳にした。「病院が自宅でのがん静養を命ずるのは、最終局面ではないか」と危機感を抱いた。ちょうど1カ月前、ご自宅へ見舞いにうかがった。1時間程の雑談のなかで、家族への強い愛情あふれる言葉を何度も聞いた。「本当に家族想いの男である」と、改めて尊敬の念を抱いた。

 室内の移動は奥さんの周子さんの力が必要であった。ただ、「1カ月以内に天に召される」とは思いもしなかった。故人は第二の事業としてインバウンド向けのホテル事業を湯布院、高千穂などで経営していた。「ホテルに1泊招待するからおいで。ただし、湯布院には高級料理店がたくさんあるから、夕食代はそちらでもってくれ」というユーモアたっぷりな語り口で招待してくれた。実は今週末、家族で1泊の旅行を予定していたのだ。

同じ宮崎県出身で波長が合った

 透氏は宮崎県都城市に隣接する街の出身で、筆者は日向市の出身である。宮崎県南部と北部の隔たりはあるが、無性に気が合った。福岡に出てきた故人は1984年に事業を起こし、91年に(株)ディックスクロキを設立した。そして、あれよあれよという間に2000年11月、ジャスダックに上場した。

 ところがリーマン・ショックの渦中にあった08年11月、倒産という蹉跌をきたした。その当時から携帯のソフトを巧みに活用し、経営データを駆使していた姿は今でも新鮮に記憶している。

民宿・宿泊ビジネスで事業復活

 再起を目指すには、ある程度の時間が必要であるが、故人の不動産を扱う手腕は天下一品。だから生活費、食い扶持には困らなかった。次のビジネスモデルを模索するのに5年の月日を要したが、最終的にターゲットをインバウンドに絞った宿泊ビジネスに辿り着いた。

 「宿泊インフォメーション」と銘打った事業は、現在、湯布院・高千穂などが事業拠点となっている。筆者は、故人が事業再構築に奮闘する姿を目の当たりにし、感服するばかりであった。現在、事業の采配は長男・黒木遼太氏が振るっている。

 透さんよ、まだまだ早すぎた面はあるが、残された家族の方々は結束を固めて生きていかれるであろう。安心されたし。

合掌

【児玉直】

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