私が父親の転勤で百道中学に転校してきた1965(昭和40)年当時、福岡市の人口は約75万人。現在の早良区役所の場所に福岡刑務所があり移転のために取り壊しが始まっていた。まだ市電が走っていて15円ではなかっただろうか。
現在、人口は約170万人(2025年)弱。全国の政令指定都市のなかで人口増加率は4.9%(2015-2020)とトップであり、全国で最も遅く人口減少が始まり、2040年が人口のピークとされている。九州のみならず、全国でも1人勝ち状態が続いている。
確かに住みやすい都市である。なぜか直撃予想の台風もしばしば逸れて災害は少なく、一通りの文化的利便施設も完備している。東京から福岡支店に転勤になり、本店へ帰ることを拒否している方の話もよく聞く。さほどに快適な都市ではある。ただ、それは「井のなかの蛙」的な快適さであり、視点を変え、あるいは立場を変えてこの福岡の現状を客観視すれば、まだまだ多くの課題を抱えている。
熊本の水俣に生まれ屋久島で育ち、福岡で中学・高校・大学の青春時代を過ごした。東京に出て、ロサンゼルスで12年を過ごし再び福岡で生活し40年が経った。国内外のさまざまな人口規模、個性の都市で生活し、数々の社会問題に直面した体験からの私見を述べてみたい。
顔が見える都市、顔を失う都市
博多駅前の西日本シティ銀行本店の解体は衝撃であった。駅前の赤いインド砂岩の外壁と個性的な外観は、まさに福岡の「顔」であった。一般市民からすれば、建築界のノーベル賞であるプリツカー賞を受賞し設計した建築家、磯崎新(故人)ってだれ?であり、新しいビルに建て替わって街が賑やかになるのはいいんじゃない!と軽く答えるだけであろう。
この建築は第一回都市景観賞を受けている。行政や学識経験者が良好で特徴的な都市景観を形成する優れた建築として認定した証であるが、その解体に際して、一言でも「解体は残念で忍びない」といった言葉が行政から発せられただろうか。「浅い」と感じる。
福岡市には都市景観室があり、景観形成の誘導策や顕彰などを長年行ってきた。しかし、今、解体と建設が絶え間なく繰り返される景観をみていると、はたしてこの都市景観という概念は実効性をともなっているのか、はなはだ疑問である。解体は物理的な建築や空間が消滅するだけではない。その場に半世紀存在した建築と市民の間に共有された記憶や思い出、顔が消去されることでもある。その記憶の集積が都市の歴史である。「浅い」という意味は、この金銭(経済)で測れないものに文化的価値を見出し、市民の共有財産(コモン)として蓄積し次世代に継承できないということである。
憲法29条で「絶対的土地所有権」が明記されている。自分の土地に何を建てようが壊そうが俺の勝手たい!行政とて私有地における権利の制限は都市計画法や建築基準法といった法的な規制以外は、建物の色彩や看板など極めて限定的である。
以前、サンフランシスコのノブヒルにある建築をホテルに大改装するプロジェクトに参加したことがある。歴史が浅いアメリカであっても歴史的地区においては、外壁は市民との共有財産・景観として保存が求められた。ほぼ内部を解体し外壁を残しホテルの新しい機能を導入しクラシックな外観と近代的なホテルが完成した。リッツ・カールトン・サンフランシスコである。とくにヨーロッパにおける建築の外壁は公共空間を構成する重要な景観要素であり、決して歴史的建造物でなくとも、その保全を前提とした改修などが数多く行われている。記憶に残っているだけでも、旧福岡県庁舎、博多部の鹿島旅館、アメリカンセンター、玉屋百貨店、イムズ、磯崎新の福岡シティ銀行支店(六本松、長住、赤坂)など所有形態は異なっても多くのユニークな歴史的・文化的な建築が数多く失われた。
中牟田さんの岩田屋 田中丸さんの玉屋
私が記憶する福岡には、かつて呉服町交差点に大丸、中洲に玉屋、天神に岩田屋という百貨店があった。岩田屋は「中牟田」さんで、玉屋は「田中丸」さんで明らかに顔が見えていた。
西日本シティ銀行本店(当時福岡相互銀行)は頭取の四島司氏が磯崎新に設計を依頼している。四島氏は現代アートに造詣が深く、銀行内部はあたかもギャラリーの様相を呈し、世界的なアーティストの作品が飾られていた。四島コレクションである。貴重なコレクションが散逸した(一部は残されている)詳細な経緯は知らないが、もしコレクションが維持されていたならば福岡に世界的な現代アートの一大拠点が存在していただろう。下衆な言い方をすれば、その資産価値はどんな不動産よりも値崩れしない圧倒的な価値であった。
田中丸氏は茶道に精通し、その茶器等のコレクションは今、福岡市美術館の一角を占めている。中牟田氏の岩田屋は、かつて福ビルのなかにNIC(西鉄と岩田屋)として世界の最先端のモダンデザインを紹介するギャラリーのような空間があった。学生の私にとって世界に開かれた唯一の窓であり、いつも垂涎の眼差しで北欧家具を、デザイン書籍を眺めていた。それぞれに地元に根差し文化に対する造詣が深く重厚感があった。
今、天神ビッグバンや博多コネクティッドで建設されるビル群は、金融資本主義の産物である。利回りを求め投資資金が集められ、顔の見えない施主が大手設計事務所、ゼネコンに発注し、最大の容積で建設されている。機能は商業、オフィス、ホテルの3点セットのワンパターン。その象徴のようなワンビルは天神の交差点に異様で巨大な姿を表した。常々、福岡市民は天神ビル群の高さが制限され、福岡の特徴あるスカイラインが維持されているのは航空法による制限があるからと聞かされていた。それが、金銭の論理(特区)でかさ上げされたのである。行政は床面積が増え、税が増え、そのことで市民が豊かになると説く。
アメリカの建築教育では周辺のコンテクスト(脈絡)を重視したデザインを叩き込まれた。
しかし、ワンビルでは2層を1つのユニットとしたファサードデザインは、その巨大さを、「俺が俺が」の存在感を強調し、重々しいガンメタル(濃いグレーの色彩)は圧迫感を増している。某大学教授から聞いた話がある。このワンビルの設計者と施工者が学生向けのプレゼンテーションを行い、後日その感想を聞きたいといったところ、ほぼすべての学生がネガティブ(否定的)な感想で伝えることができなかったというのである。真意の程はわからないが、若い世代は直感的によく見ているのだ。ワンビルは外観は「カタ」だが、中身は「軽っ!」であり、アート作品がアリバイづくりに使われている。
ワンビルはこれから、少なくとも半世紀は天神の交差点に存在し続ける。誰しも完成した瞬間にどのように評価されるかが最大の関心事であるが、今問われるべきは長期的視野に立って、半世紀後の存在に責任をもった答えを出しているかであろう。京大の都市経済学者、森知也教授は、人口減少は地球温暖化と同程度に深刻な問題だと指摘し、都市の建設的なトリアージ(選別)が必要だと説いている。
福岡は「フロー」で生きている街だ。絶え間なく移り変わり、「のぼせもん」が祭りを盛り立て、屋台の一期一会、言葉を変えればその場限りの出会いを喜ぶ。決して私も嫌いではないが、一寸先も見通せない社会にあって、そろそろ腰を据えて福岡の将来像を、「軽く」て「浅い」福岡から、「深く」て「丸い」福岡の次の姿を描くべきでは。
(つづく)
<プロフィール>
佐藤俊郎 環境デザイナー
1953年(昭和28年)熊本県水俣市生まれ。修猷館、九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)修士課程終了。
国内外の著名デザイン事務所、建築設計事務所勤務。大学非常勤講師、デザイン専門学校理事長などを歴任。アメリカンドリームの再構築(共訳、勁草書房1991年)、場所の力(共訳、学芸出版2002年)、漂浪建築(一粒書房2025年)などがある。2011年東日本大震災復興計画私案論文で最優秀賞(朝日新聞主催)








