千鳥屋の歩みは、単なる一軒の老舗による拡大の軌跡ではない。原田一族は飯塚を軸に、福岡、東京、大阪・兵庫へとそれぞれの道を歩み、やがて「4つの千鳥屋」と呼ばれる姿になった。同じ暖簾の下にありながら、進む方向は少しずつ異なり、その広がりは栄光であると同時に、分裂と葛藤の歴史でもあった。
19年、飯塚の千鳥屋本家と福岡の千鳥饅頭総本舗との間で、「チロリアン」の商標権をめぐる訴訟が始まった。看板商品の1つであるチロリアンをめぐる争いは、千鳥屋の分裂構造がついに商品ブランドの核心にまで及んだことを象徴していた。22年12月に和解が成立し、飯塚系は「チロリアン」の名称の使用停止と解決金5,000万円の支払いを受け入れた。これにより、飯塚系は23年4月から商品名を「ヨーデルン」へ変更することになる。これは単なる名称変更ではない。長年育ててきたブランド資産を手放し、しかも和解金まで負担することになったのである。ブランドの知名度と商品価値に支えられてきた菓子会社にとって、この打撃は小さくなかった。
外部環境悪化が経営を直撃
しかも、その時期は外部環境も厳しかった。20年に入り、コロナ禍による来店客数の減少、店舗の縮小、物価高、人件費上昇、原材料価格の高騰が重なり、菓子業界全体の収益環境は悪化していた。飯塚系千鳥屋本家の売上高は、14年3月期の約8億円から25年3月期には約5億2,500万円まで減少したとされる。店舗数もピーク時の65店から44店へ縮小し、かつての規模を維持できなくなっていた。さらにコロナ期の借入も含む金融債務が重くのしかかり、資金繰りは悪化。こうして26年2月27日、飯塚の千鳥屋本家グループ4社は福岡地裁に民事再生法の適用を申請するに至った。
再生申請の背景にある構造問題
この再生申請をどう見るか。単純に「老舗が時代の波に負けた」と片づけるのは適切ではないだろう。もちろん、コロナ後の需要回復の遅れ、物価高、原材料高、借入負担など、短期的な経営悪化は大きな要因だった。だが、その背後には、同族分裂によって蓄積してきたブランド共有の難しさ、商標紛争に象徴される権利関係の対立、そして「千鳥屋は1つではない」という構造問題が横たわっていた。短期的な業績悪化の前に、長い時間をかけて競争力をむしばんできた構造的弱さがあったのである。
(つづく)
【内山義之】








