米中首脳会談から見る「中国経済崩壊論」の限界

青山英明

要旨

 5月13日から15日にかけて、トランプ大統領がアメリカの金融・テック企業関係者らをともない、中国を訪問した。米中対立は続いているが、それでも両国の経済界は市場、供給網、投資をめぐって実務的な「落としどころ」を探っているようにみえる。

 中国側で筆者と旧知の経済人らは、今回の両首脳の会談を慎重ながらも前向きにみている。現地のマーケティング関係者は「アメリカは経済的成果と産業協力の再接続を求め、中国は対立で消耗しない成長の余地と地域の安定を求めている。今回は双方に必要な調整過程だ」とみる。大手民営企業に近い関係者も「対立の管理だけでなく、経済・投資・産業協力の接点を再確認する機会」と受け止めていた。

 一方、日本にいると、「中国経済は終わった」という言い方を少なからず耳にする。書店に行けば、その手の書籍も並んでいる。根拠として挙げられるのが不動産不況、若年失業、地方債務、人口減少、内需の弱さなどだ。確かに、どれも現下の中国が抱える現実の問題である。

飛躍が過ぎる中国経済崩壊論

イメージ    しかし、これらの諸課題をもって直ちに「中国経済は崩壊する」と語るのは、飛躍が過ぎるのではないか。振り返ると、この手の「中国経済崩壊論」は長い間、趣向を変えながら繰り返されてきた。なぜ中国経済崩壊論は幾度も繰り返されるのか。そして、なぜ今も中国経済は崩壊していないのか。

 中国経済崩壊論は、すでに1つの長寿言説になっている。1992年の鄧小平の中国南方への視察、いわゆる「南巡講話」を1つの起点とすれば、今年2026年はその34年目にあたる。南巡講話以後、中国は経済成長を社会運営の中心軸とし、市場化、外資導入、都市化、輸出工業化、国有企業改革、不動産開発、産業政策を組み合わせながら拡張されていった。

 その一方で、中国経済はほぼ10年ごとに「今度こそもう持たない」と言われてきた。90年代は国有企業と国有銀行の不良債権、97年以降はアジア金融危機と人民元不安、2001年以降はWTO(世界貿易機関)加盟による外部との競争、08年以降は過剰投資と不動産バブル、15年以降は人民元下落と金融危機、そして21年以降は不動産不況、地方債務、人口減少、長期停滞といった危機に直面している。

時代ごとに名を変えて立ち上がる崩壊論

 こうして並べると、中国経済崩壊論は、同じ内容を繰り返してきたわけではない。時代ごとに、危機の名前を変えて現れている。

 90年代の崩壊論は、国有企業の非効率と銀行不良債権を問題にした。市場化を進めれば、国有企業は競争に耐えられず、国有銀行が不良債権を抱え、金融システムが不安定化するという見方である。アメリカに亡命した政治学者ミンシン・ペイや、政治経済学者の何清漣(He Qinglian)らの議論は、中国の制度疲労や改革開放の暗部を早い段階で浮き彫りにしていた。

 彼らの指摘は荒唐無稽ではなかった。国有企業改革、レイオフ、不良債権はいずれも現実の問題だった。ただし、中国はこの矛盾を直ちに清算することはなかった。破綻させるのではなく、問題を先送りさせながら国有企業を再編し、沿海部の外資導入と輸出産業の拡大によって、新しい成長領域を生み出した。

 言い換えれば、国有企業という古い船底の穴を見て「船は沈む」と見なされた瞬間、中国は別のエンジンを積み始めていたのである。

WTO加盟で崩壊するどころか「世界の工場」になった

 01年のWTO加盟も中国経済の大きな転機となった。当時は、WTO加盟によって中国経済の内部矛盾が一気に露呈するという見方があった。国有企業は国際競争に耐えられない。国有銀行の不良債権は隠しきれない。都市と農村、沿海と内陸の格差も広がる。こうした懸念は、当時の中国経済の現実を踏まえたものだった。

 この時期を代表する崩壊論者は、アメリカの政治評論家ゴードン・チャンである。彼は国有企業の非効率、四大国有銀行の不良債権、政治改革の不在などを理由に、中国は11年までに崩壊すると予測した。

 しかし、結果は逆だった。中国はWTOによって壊れるどころか、WTOを利用して「世界の工場」になった。外資、輸出、港湾、加工貿易、沿海部の産業集積、地方政府の誘致競争、低賃金労働力、インフラ整備が結びつき、中国はグローバル生産ネットワークの中心に躍り出た。

 中国がグローバル市場に飲み込まれたというより、中国がグローバル市場の工程を飲み込んだと言ったほうが実際に近い。

過剰投資、不動産不況と中国崩壊論

 08年のリーマン・ショック後、中国は大規模な財政出動を中心とする景気刺激策で外部ショックを吸収した。その結果、地方政府によるインフラ投資、不動産開発、鉄鋼・セメントなどの過剰生産能力が急速に膨らんだ。

 ここから崩壊論は、ハードランディング論へと移る。ジム・チャノスは中国の不動産市場を巨大なバブルと見なし、ヌリエル・ルービニは過剰投資が急減速につながる可能性を指摘した。要するに、中国は投資しすぎた。不動産をつくりすぎた。地方政府は借金しすぎた、という見方である。

 この時期の崩壊論は、かなり鋭かった。実際、地方政府債務、不動産依存、過剰投資、低消費は、現在の中国経済を考えるうえでも避けては通れない課題である。

 筆者はこのころから中国現地にベースを置いていたが、町も企業も、日本の何倍もの速さで競争と淘汰を繰り返しているように見えた。計画が立ち、資金が入り、人が動き、企業が生まれ、消えていく。その速度感は、日本の成熟した産業社会とはまったく違っていた。

時限爆弾の“秒針”しか捉えきれていなかった

 では、中国当局はどうしたか。過剰投資のツケを一気には清算しなかった。地方政府、国有銀行、土地財政、金融規制、産業政策を使って、リスクを分散し、時間軸を引き伸ばした。市場原理の観点から見れば破綻していても、国家と地方と金融機関が一体となってリスクを管理し、問題の表面化を遅らせたのである。

崩壊論者は、時限爆弾の“秒針”はたしかに捉えていた。だが、まさか爆弾そのものが別の倉庫へと移されていくとは予想できなかった。

金融危機も回避

 15年の中国株式市場の急落、人民元切り下げ、資本流出も、中国経済崩壊論を再燃させた。

 この時期の論点は金融システムである。中国は信用を膨張させすぎた。不良債権は銀行の表面に出ていないだけで、実際には大規模に存在している。人民元は下落圧力にさらされ、資本流出が続けば金融危機になる、といった見方である。

 代表的な論者として、米ヘッジファンドの創業者カイル・バスがいる。彼は中国の信用膨張を金融危機前のアメリカと比較し、中国の抱える問題はアメリカのサブプライムローン危機を大きく上回る可能性があると主張した。

 しかし、中国は急迫した金融危機を回避した。理由は、金融が健全だったからではない。管理を強化したのだ。資本移動の規制、国有銀行の統制、金融機関への行政指導、為替管理、国有企業と地方政府を通じた信用の維持によって、市場が想定する危機拡大の速度を遅らせた。危機を見えにくくし、制度の内部に抱え込んだ。

性格が変わった崩壊論

 21年以降は、崩壊論の性格がまた変わった。不動産開発企業の債務問題、住宅販売の低迷、地方政府の土地財政の悪化、若年失業、消費低迷、人口減少が重なり、中国経済の先行きについて悲観論が強まった。

 現在の議論は、かつてのような「明日にも中国は崩壊する」という急性破綻論だけではない。むしろ、長期停滞論、成長モデル終焉論に近づいている。アメリカの経済学者ケネス・ロゴフは中国不動産が経済全体に与える重荷を論じる。世界屈指の経済シンクタンクであるピーターソン国際経済研究所の所長アダム・ポーゼンは、家計や中小企業が自己防衛的になり、投資や耐久財消費が鈍る構図を論じた。

 この段階の議論は、過去の崩壊論よりも現場に近い。現在の問題は単なる景気悪化ではなく、高度成長を支えた前提そのものにあるからである。人口ボーナス、都市化、不動産開発、土地財政、輸出主導、インフラ投資。これらは長く中国経済を支えてきた。しかし、その多くが転換点を迎えている。

それでも「崩壊」はしない

 ただし、ここでも「崩壊」という言葉には注意が要る。中国経済は、機械のように突然停止するとは考えにくい。むしろ低成長、管理強化、産業再編、輸出依存の再強化、新エネルギー、電気自動車(EV)、半導体、AI、ロボットなどへの資源投入を通じて、別の成長様式を模索している。

 つまり、中国経済は無傷ではない。だが、傷を抱えていることと直ちに崩壊することとは同じではない。ここに、このタイミングで中国経済崩壊論の34年を振り返る意味があるように思う。

 崩壊論者たちの指摘が間違っていたわけではない。むしろ時代ごとのリスクをいち早く見抜いていた。国有企業の非効率も、不良債権も、過剰投資も、不動産依存も、人口減少も、いずれも中国経済が抱える重要課題だった。問題は、リスクの読み方にあった。

 中国経済は時代ごとに危機に直面したが、そこで立ち止まって停止していたわけではない。中国は繰り返し成長モデルを組み替え、経済の基幹産業を更新し、外資、輸出、都市化、不動産、インフラ、デジタル経済、新エネルギー、ハイテク産業へと重心を移した。1つの危機が露呈するたびに、それを完全に解決するわけではないにせよ、制度の内部に吸収したり、地方へ転嫁したり、問題を先送りにしたり、あるいは別の産業領域へ接続し直したりしてきた。

 中国経済崩壊論は、危機の所在を捉えてはいたが、その間に、分析対象そのものが変化していることを十分に見ていただろうか。流れゆく舟の上に印を刻み、その場所で、川に落ちた剣を捜そうとはしていなかったか。印は正しくとも、舟はすでに流れている。剣はそこにはなかった。

日本は「崩壊待ち」でよいのか

 こうしてみると、中国経済崩壊論の34年は単なる誤論の歴史ではない。リスクの発見においては鋭く、時間軸の把握においては鈍かった言説の歴史である。

 中国経済のリスクを読むことと中国の崩壊を語ることは同じではない。では、日本は中国経済のどこに着目したほうが良いのか。筆者は、中国がどの問題を先送りし、どの問題を管理し、どの産業を次の支柱にしようとしているのかをみるべきだと考える。

 アメリカ企業は、中国市場や中国のイノベーションのスピードを利活用する方向へと戦略を組み直している。日本はどうするか。「中国経済は崩壊する」と、たかをくくっている余裕があるか。中国の崩壊を待っていても、得るものは少ない。

 危機を抱えながらかたちを変える中国経済のなかで、日本企業と日本産業がどこに接点をもてるのかを見極めることのほうがより建設的ではないだろうか。


<プロフィール>
青山英明
(あおやま・ひであき)
一帯一路日本研究センター研究員、南京大学博士課程在学中。南京大学「一帯一路」研究院首席専門家・于文傑に師事し、地政学的ロジックを一次史料に基づく解析で、海のシルクロードと「一帯一路」構想の構造的共通項が、現代の意思決定に与える示唆を研究テーマとする。
実務面では、2007年より香港、蘇州、上海、北京の主要4都市に12年間駐在。証券・PEファンドの立場から、中国経済の変遷と資本論理を現場レベルで一貫して経験した。現在、北京語言大学の非常勤講師として「日中間のビジネス事情」を担当。同時に、中国企業の日本パートナーとして隔月での現地往来を継続しており、企業のハンズオン支援やスタートアップ投資を通じて、現地の最新の意思決定プロセスに直接関与している。

関連記事