69キロ速度超過 大分の東九州道 罰金9万円、免停
7月4日の朝刊に、上記見出しで報道された。「これで山本太郎は政治家としても、また市民としても信用をすべて失ってしまった」というのが筆者の結論である。筆者の山本太郎氏に対する記憶は政治家以前においては「難波金融伝・ミナミの帝王」シリーズで高利貸しを営む主人公・萬田銀次郎(竹内力)の舎弟・新庄公平役の印象しかない。この人物が政治家として再登場し「れいわ新選組」の代表として再登場したのには驚愕した。取材して回ったら山本氏の政治師匠は小沢一郎代議士(今は政治家浪人)であると聞いた。その点で親近感を覚えた。
ところが、どういうことだ。「日本国家の政治体制変革」を志す山本太郎がスピード違反・道路交通法違反の罪で罰せられるとは一体、どういうことだろう。まさしく性根が変わっていないことを証明したものだ。要するに高利貸しの舎弟チンピラに戻ったに過ぎないのである。よくこんな奴が、「天下国家」を吠えまくって、体制を転覆する行動に飛んで回ったものである。本当にふざけたやつだ。
2020年初頭に巡り会い
筆者が山本太郎氏と巡り会ったのは20年初頭である。19年に「れいわ新選組」を結党して全国政治行脚を始めた。そして福岡にもやってきた。こちらも「政治の新しい流れ」と読んで近づいた。そこで政治行脚の打ち上げに一席設けた。その席上では『突撃記者』として有名な横田一氏とも知り合った。現在も「NetIB-NEWS」に寄稿をいただいている。その段階では「この政治家・山本太郎は日本の政治体制を変革する1人である」とほれ込んだのである。
組織論なし、地方組織論なし
繁盛している参政党党首は女狂いなのにどうして党の勢いがあるのか? 不思議でたまらない。山本太郎氏の女性問題は身近にいるかどうか定かでないが、我が「れいわ新選組」は解党寸前の危機に立たされている。
一方、参政党福岡代表は忙しい。睡眠が1日3時間とか。何が忙しいかといえば「来春の統一地方選立候補者の党公認者決定の面接」に追われているという。たとえば福岡市中央区も市会議員候補の売り込みに30人強押し寄せてきたとか。しっかりした党公認作業を行っているのである。
参政党の組織力の強さは、地方から強化していくことによって基礎組織が培われてきたことにある。まず党員会費をしっかり徴収する。裏返しの意味で党員たちの自主的な活動を促進させている。だからこそ党員たちは活発に活動する。自主的な献身力が強いのだ。そのなかで中小企業のオーナーたちのなかでは大口カンパを行う数も多いようである。だから新党としては財力には多少、余裕があるようだ。基本的認識は党組織の強さのバロメーターとして「地方議員数を増やす」となっている。
ところが山本太郎の頭脳には政党組織論には「地方議員たちは中央指導部のいうことに服従すれば良い」という安易かつ硬直的なルールがあるようである。日本共産党でもそんな教条主義的な組織運営はしていない。硬直運営を行えばクレームがつく時代である。また「れいわ」はボランティア支援層にも命令調が目立つ。福岡周辺でも一時、「れいわ新選組」を名乗った優秀な地方議員たちがいた。たとえば太宰府市議会にはレスラーとして有名な市議会議員がいる。一度は「れいわ新選組」議員として当選した。しかし、あまりにも硬直化した組織運営に見切りをつけた。次期、地方選挙においては無所属でも当選するであろう。
来春の地方統一選挙における福岡市議会議員選挙、県議会議員選挙においても、これまで「れいわ新選組」で活動していた方々は、無所属で立候補の準備をしている。もう「れいわ新選組」は解党・解体しか選択の道はない。
山本太郎氏のプロフィール
山本太郎氏は、俳優・タレントとして知名度を築いた後、東日本大震災を契機に社会運動へ軸足を移し、国政へ進出した政治家である。芸能界で培った発信力と、街頭演説を中心とする直接訴求型の政治活動を武器に、既成政党とは異なる支持基盤を形成してきた。
1974年11月24日、兵庫県宝塚市生まれ。90年、高校在学中にテレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「ダンス甲子園」出演をきっかけに芸能界入りした。同年、映画「代打教師秋葉、真剣です!」で俳優デビューし、その後はNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」、大河ドラマ「新選組!」、映画「バトル・ロワイアル」などに出演。2001年度日本映画批評家大賞助演男優賞、03年度ブルーリボン賞助演男優賞を受賞するなど、俳優としても一定の評価を得た。
政治活動への転機となったのは、11年3月の東日本大震災と福島第一原発事故である。同年4月以降、反原発活動に取り組み、原発や被ばくの問題を訴えるなかで、社会運動から政治活動へと歩みを進めた。以後、山本氏の関心は原発問題にとどまらず、労働、社会保障、生活再建、経済政策へと広がっていく。
13年7月の参議院議員選挙では、東京選挙区から出馬し初当選した。無所属系・市民運動系の立場から国政に議席を得たことは、当時大きな注目を集めた。国会では、エネルギー政策、震災復興、教育、科学技術などを中心に活動し、既成政党に属さない独自の政治姿勢を示した。その後、14年に「生活の党と山本太郎となかまたち」に合流し、共同代表に就任。さらに同党が自由党へ改称した後も共同代表を務めた。大きな転換点となったのは19年4月である。自由党と国民民主党の合流には加わらず、自ら「れいわ新選組」を立ち上げた。ここで山本氏は、既存野党の一員から、自ら政治ブランドをつくる党首へと立場を変えた。同年7月の参院選では比例区から出馬し、自身は99万票超を得ながら落選した。
しかし、れいわ新選組は得票率2%を超え、国政政党の要件を満たした。山本氏個人の当落とは別に、新党を国政政党へ押し上げた点で、この選挙は同氏の政治経歴における重要な節目となった。20年には東京都知事選に出馬し、65万票超を獲得。落選したものの、れいわ新選組代表としての存在感を示した。21年の衆議院議員選挙では東京ブロックから出馬して当選。さらに22年には参院選出馬のため衆議院議員を辞職し、同年7月の参議院議員選挙で東京選挙区から再び当選した。
山本氏の政治スタイルの特徴は、街頭演説を重視し、有権者と直接向き合う点にある。俳優時代に培った表現力や言葉の伝達力を政治活動に生かし、生活不安を抱える層や既成政治に不信感を持つ層へ訴えかけてきた。政策面では、反原発に加え、消費税減税、社会保障の充実、所得再分配、労働環境の改善など、生活に直結するテーマを前面に掲げている。山本氏を理解するうえでは、単に「俳優出身の政治家」と見るだけでは不十分である。震災後の社会運動を出発点に、国会議員、政党代表へと歩みを進め、選挙での当落を超えて党勢拡大につなげてきた点に特徴がある。芸能界で得た知名度を政治的動員力へ転換し、既成政党に回収されない独自の支持層を築いたことが、同氏の最大の特徴といえる。








