【特別寄稿】自治体DXは誰を利するのか AI時代に問われる利益と負担の分配
東京大学大学院 法学政治学研究科
教授 金井利之 氏

自治体行政は、竹簡や手書き文書の時代から、常に新しい情報処理技術を取り込んできた。SNSや生成AIも、その延長線上にある。しかし、デジタル化は単なる省力化ではない。行政の判断や手続の在り方を変え、住民や事業者の利益と負担の分配を変える政策判断でもある。保育所の入所判定、苦情対応、オンライン申請、住民データの利活用など、便利さの裏側では誰が有利になり、誰が取り残されるのかという問題が生じる。自治体DXを、効率化ではなく「分配」の視点から考える。
竹簡からSNSまで
新技術を取り込む行政
自治体行政は、意思決定を行う情報処理組織でもある。従って、どのような情報処理技術を利用するかは、その時々の社会や技術環境に左右される。行政には、情報処理に役立つ新しい技術を取り込もうとする性質がある。口頭での伝達から手書き文書による処理へ移ったことも、その古い形態といえる。その後も、行政は新しい情報処理技術を次々と取り込んできた。印刷、タイプライター、郵便、電信、電話、ファックス、電子計算機、コンピューター、プロジェクター、インターネット、電子メール、SNS、生成AIなどである。行政が新しい情報処理技術を取り込もうとする動き自体は、決して新しいものではない。
新たな技術によって情報処理能力が高まれば、行政の能力も高まる。ただし、それはよいことを行う能力が高まるというだけではない。住民や事業者に不利益をおよぼす方向に使われる可能性も高まる。一般には、行政能力の向上は望ましいものと受け止められやすい。しかし、その能力がどの方向に使われるのかを制御し、検証する仕組みやリスク対策がなければ、かえって悪い結果を生むこともある。しかも、行政の情報処理技術の活用を監視する作業もまた情報処理である。技術が高度化すれば、チェックする側の能力も高まる一方、チェックをかいくぐる能力も高まる。ここには矛と盾の関係がある。
便利さの裏で
技術導入が変える「分配」
「デジタル化」とは、意思決定の中身は何ら変えずに、意思決定の手段だけを効率化するような、単なる技術の変化ではない。デジタル化によって、行政の判断の中身や結果が変わるならば、住民や事業者の利益・不利益も変わる。つまり、デジタル化は、利害の分配を変える政策判断なのである。端的にいえば、「デジタル化」によって有利になる人と不利になる人が生まれるということだ。
自治体の意思決定によって有利不利が生じること自体は、珍しいことではない。しかし、明確な政策判断を示さないまま、「技術的な改善」としてデジタル化を進めるならば、それは意図しない政策変更を行ったことになる。
従って、デジタル化によって誰が便利になり、誰が不便になったのか、利益と負担の分配がどう変わったのかを観察し、追跡し、評価することが欠かせない。ところが現実には、デジタル化は技術的・不可避的なものとして進みがちだ。その結果、暗黙の政策判断であるにもかかわらず、その是非が十分に検証されないまま、単なる技術導入という建前で進められることがある。
たとえば、保育所の入所判定にマッチング・システムを導入する場合を考えたい。従来の手作業では、さまざまな要因を点数化し、優先順位を決めていた。それは時間を要する作業だった。ここにマッチング・システムを導入すれば作業時間が大幅に削減できる。もし入所判定の結果が、従来の手作業とマッチング・システムとで同一であれば、作業負荷を下げるだけで、申請者間の分配状況は変わらない。しかし、入所判定の結果が異なることになれば、申請者間の分配状況が変わる。
問題は、その変化をどう評価するかだ。従来の手作業による判断が、最初から正しいとは限らない。逆に、マッチング・システムによる判断が必ず改善だともいえない。両者の結果を比較し、どちらが妥当なのかを判断する必要がある。
ところが、ここには根本的な難しさがある。手作業とシステムのどちらがよいのかを判断すること自体が、別の意思決定だからだ。もし、その判断を正確に行える情報処理技術があるならば、最初からそれを入所判定に使えばよいということになる。しかし、現実にはそのような万能のシステムは存在しない。
さらに、システム化が進めば、自治体組織や職員は、手作業で判断する能力をしだいに失っていく。アナログな意思決定の技術を失うことは、システムの結論を独自に評価する力を失うことをも意味する。つまり、デジタル化が一度進むということは、その結果として生じた分配の変化を検証すること自体が難しくなることでもあるのだ。
省力化は本当に住民のためか
デジタル化によって判断の結果が変わらず、作業労力だけが削減されるのであれば、それは能率化といえる。もしデジタル化によって従来のサービス水準を維持できるならば、それは分配の変化を避けるための手段になる。この場合、デジタル化は、現状を維持するための保守的な技法という性格を帯びる。導入時点では、当面は「現状維持」の触れ込みでなされるので、その限りで利害状況を変えずに、円滑に進めることが可能であろう。しかし、デジタル技術の導入は、従来のサービス水準を永遠に固定することを意味しない。将来の時点でどのようなサービス分配が行われるかは、導入されたデジタル技術の仕様によって、有利不利があらかじめ方向づけられてしまうのである。
また、仮にデジタル技術で行政の費用が削減できたとき、そこで問題になるのが、行政の作業余力をどこに配分するかである。よくいわれるのは、デジタルでできることはデジタルに任せ、人間でしかできない作業に職員の労力を振り向けるという物語である。
だが、その余力が本当に人間でしかできない作業に回るとは限らない。むしろ、人間でしかできない作業は、職員にとって面倒な作業でもある。デジタル化以前は職員にとって楽な仕事と面倒な仕事が混在していた。しかし、デジタル化後は、面倒な仕事ばかりが残る。そうなると、職員は自衛的に、面倒な意思決定を避ける。そして、行政全体としても、デジタル化によって処理しやすくなった作業が、面倒な手作業よりも優先される。その結果、住民や事業者へのサービスの分配状況が変わる。
たとえば、苦情電話への対応を考えたい。従来は職員が電話を受け、相手の事情を聞き取りながら対応していた。しかし、これは多くの時間を使う作業である。そこで、ナビダイヤルの自動音声で対応したり、電話受付を廃止して、メール、フォーム、チャットだけにしたりすることが考えられる。もちろん、それで効率化される部分はある。しかし、本来は職員が直接対応すべき苦情や相談があったとしても、あるいは、スクリーニングの結果として極めて困難な苦情や相談だけが職員に回されたとしても、その面倒な対応に十分な人員が割かれるとは限らない。単に、苦情を聞かなくなるだけということもあり得る。
また、長年の情報化の経験に照らしてみても、情報化によって職員の仕事が省力化された実感はない。システム化によって「余力」が生まれた場合、実際には人員が削減されるか、別の無駄な作業(「ブルシット・ジョブ(どうでもよい仕事)」)が新たに生まれることが多いからである。
たとえば、ワープロや文書作成ソフトによって文書作成が省力化されると、山のような文書の作成が安易に進められ、また、膨大な文書の送信と読解作業が新たに生み出される。「念のため」に広くばらまかれた文書・資料やメールが増え、それらを読むために膨大な時間が浪費される。取捨選択や要約のためのシステムが開発されても、さらにそれを上回る量の文書がまた生産される悪循環が待っている。生成AIによって文書の大量作成と要約が可能になれば、情報処理の負荷はさらに、あるいは爆発的に、増えていく可能性がある。
デジタル化の入口で取り残される人々
デジタル技術を導入しても、デジタルと人間が接触する現場はなくならない。自治体組織の内部でデジタル化が進めば、それを扱う職員が必要になる。行政サービスがデジタル化されれば、それを利用する住民や事業者がいる。そこで問題になるのが、職員間、住民間、事業者間で生じる分配状況の変化である。これがデジタル・デバイド、すなわち情報処理技能の格差の問題である。
職員のデジタル技能が低ければ、職員はデジタル化を避けようとする。あるいは、デジタル化にともなって作業がかえって増えたり、処理が遅れたりする。そうなれば、自治体の現場では何らかの理由をつけてデジタル化を遅らせたり、抵抗したりする。
冒頭で述べたように、自治体行政は組織全体として見れば、新しい情報処理技術を導入しようとする性質をもつ。首長や幹部の側にも、行政運営を効率化したいという動機がある。しかし、職員や職場集団は、不慣れな作業を増やしたくないため、従来の非デジタルの作業方法を続けたくなる。いわゆる惰性や先例踏襲だ。
一方で、組織的にデジタル化を進めれば、デジタル技能をもつ職員の価値は高まる。デジタル技術に強い職員に対して、金銭的な報酬や職場内での評価が高まるかもしれない。能力に応じた正当な変化ともいえるが、分配状況が変わることに違いはない。他方で、デジタル技術に強い職員に作業が集中する可能性もある。仕事は、できる職員に集まりやすい。
デジタル化された行政と接触する事業者にも、同じ問題が生じる。行政手続がオンライン化されれば、事業者側でも従業員がその作業を担う。大きな組織であれば、ある程度は内部で対応できるかもしれない。しかし、中小事業者や高齢の従業員が多い事業者では、慣れない手続きを追加で担わなければならない。行政側のデジタル化によって、事業者側に見えにくい対応コストが発生する可能性がある。
たとえば、役所への申請手続がデジタル化されれば、便利になる面はある。従前の手作業による手続負担は決して小さくないからである。しかし、事業者にとっては、新たな入力作業、アカウント管理、電子証明、添付書類のデータ化、システム不具合への対応、セキュリティ管理などが必要になる。こうした対応力の差は、事業者間の競争条件にも影響する。デジタル技術を利用した行政手続にうまく対応できる事業者は有利になり、対応に時間や人手を取られる事業者は不利になる。
手続負担を誰が負うのか
より深刻なのは、一般の住民である。デジタル化された手続は、デジタルに慣れた人にとっては便利である。しかし、デジタルに不慣れな人にとっては、むしろ不利に働く。
同じ受給要件を満たしていても、デジタルに慣れた人は、オンライン上で手続きを進め、迅速にサービスにたどり着ける。これ自体はよいことであろう。一方、デジタルに不慣れな人は、入力画面の途中で行き詰まり、必要なサービスにたどり着けないことがある。これは問題である。こうした負担を、行政手続負担(アドミニストラティブ・バードン)という。こうなると、デジタル弱者は、スマホまたはパソコンの画面の前で途方に暮れる。
もちろん、紙の申請書や窓口での説明であっても、自治体は住民に大きな手続負担を課してきた。従って、デジタル化によって行政手続負担が一概に重くなるわけではない。むしろ、デジタル化は「いつでも、どこでも、簡単に、迅速に、1カ所(ワン・ストップ)で、1度の手間(ワンス・オンリー)で、書かずに済む」といった触れ込みで導入される。つまり、行政手続負担を軽くする名目で進められる。
しかし、現実には住民のデジタル能力には差がある。全体として行政手続負担が軽くなっても、デジタルに不慣れな人には、かえって負担が集中する。デジタル化は、行政手続負担を減らすだけではない。行政手続負担を誰が負うのかを変えるのである。
現在の日本の自治体行政は、住民への公平な取り扱いに敏感であり、「誰一人取り残さない」と掲げている。デジタル化で浮いた職員の労力を、デジタル化に対応できない人への丁寧な支援に回すという説明もなされるが、これは夢物語に過ぎない。デジタル化の目的が省力化である以上、デジタルに不慣れな人に手厚い対応を続ける誘因は乏しいからだ。
そのうち行政は、デジタルに不慣れな人を逆恨みして、「この人たちがいるから仕事が減らない」「できないのは自己責任だ」という見方が生まれる可能性もある。そうなれば、デジタル化は本来支援すべき人々をさらに遠ざける。
住民データは誰の資源か
自治体ビッグデータの行方
デジタル化は、個人情報データが経済的な価値をもつことも意味する。そのため、データを活用する産業や「データ屋」と呼ぶべき事業者、専門家・研究者は、個人データの収集と集積に強い関心をもっている。
自治体行政も、個人情報データを活用することで、より個別に最適化された行政サービスを提供できる可能性がある。しかし、自治体自身に、その個人情報データを高度に利活用する能力が十分にあるとは限らない。むしろ、データを活用する産業の側が、自治体がこれまで収集・蓄積してきた個人情報データや統計情報を掘り起こそうとしている。地下水、温泉、鉱脈を求めて山師が集まるように、行政データを新たな資源として見ているのである。もしその「山」が当たれば、山師的な事業者も、データという「山」を抱える自治体も経済的に潤うかもしれない。
だからこそ、自治体は個人情報データをどのように管理し、運用するのかを問われている。自治体がもっている個人情報データは、自治体だけのものではない。その自治体に暮らす住民全体の共有財産でもある。このような共同資源をどのように適正に管理するのかは、非常に難しい問題である。
現状では、個人情報は個人の私的な権利として細分化されて理解されることが多い。その一方で、匿名加工や仮名加工をすれば、比較的自由に利活用できるかのような流れもある。しかし、自治体が保有する個人情報データは、単なる個人情報の集合ではない。自治体という単位で管理されている地域の情報資源である。住民データは、入会地や共有地のような共同資源、すなわちコモンズと捉えるべきだ。共同資源をどのように保全し、利活用するかは、自治体行政の重要な役割である。
自治体が持つ個人データは共同資源である。資源をもつことは、中国のレアアースや中東の石油のように、交渉力を生み出す。しかし、現在の自治体は、自らが保有する個人情報データの資源としての価値を十分に理解していない。デジタル経済の活性化を急ぐあまり、一方的に安価で、安全性を十分に確保しないまま提供してしまう傾向がある。
個人情報データの収集、蓄積、保全、再生産には、多くのコストがかかっている。その利益は共同の負担者に還元されるべきである。また、個人情報データは、行政サービスの分配にも深く関わる。こうした共同資源の管理者として、自治体行政の役割は今後ますます重要になる。しかし、国は個人情報保護法改正によって、自治体による管理の手を縛っているのである。
自治体DXに問われる「分配視点」
分配状況の変化それ自体は、政策決定として珍しいものではない。しかし、デジタル化による暗黙の政策変更は、そうした明示的な政策判断がないまま、技術的・不可避的なものとして進みやすい。意図しない分配状況の変化が、住民や事業者にとって深刻な影響をおよぼすことがある。
そのため、デジタル化はチャンスであると同時にリスクでもある。従来の分配状況を改善する可能性を開く一方で、従来の状況を悪化させる危険もある。さらに、情報処理能力が高まることで、人々に与える利益や不利益の規模は、人間の等身大をはるかに超えて拡大している。好機と危機の発生確率が同じだとしても、その影響の大きさが増せば、人々を傷つける危険も高まる。
資本主義・市場経済は、絶えざる技術革新によって利害の分配状況を変え、そのなかで激しい競争を生み出してきた。デジタル経済の進展によって、情報利活用事業者、プラットフォーマー、仲介者、インフルエンサー、発信者など、さまざまな利益を享受する主体が登場している。しかし、利益を享受できない主体、あるいは、不利益を被る主体も、増えている。その結果、経済格差は拡大しやすくなっている。そして、前者の声は羨望と相まって大きく、後者の声は伝わらない。そもそも、デジタル強者とデジタル弱者では、定義上、前者の方がデジタル発信力が強いからである。
自治体行政サービスについても、同じ問題が起こり得る。ただし、行政の本旨は、資本主義や市場経済だけでは十分に提供されないサービスを担い、必要な規制を行うことにある。本来、自治体行政は、経済がデジタル化すればするほど、デジタルに強い人ではなく、むしろデジタルに弱い人を支える役割をもつ。にもかかわらず、デジタル経済がデジタル強者に有利であるのと同じように、自治体のデジタル行政サービスまでデジタル弱者に不利なものになれば、自治体行政は本来の役割を果たせない。この矛盾は深刻だ。
AIやデジタル化は、行政機構の意思決定の結果と負担を変え、利害得失の分配状況を意図しないかたちで変える。自治体DXには、現場職員の裁量や判断を広げる仕様もあれば、逆に狭めて縛る仕様もある。標準化、自動化、データ化が進むなかで、標準に合わない事項、自動化になじまない事項、データ化できない事項は、相対的に後回しにされやすい。そうなれば、行政の意思決定は偏っていく。
自治体の独自性も、システムの設計やフォーム、画面遷移、入力項目に縛られるかもしれない。システム上の情報連携によって行政の総合性が高まることもあれば、逆にシステムの設計によって行政が断片化することもある。意図しないつながりが、新たな弊害を生む可能性もある。
要するに、行政がAI技術を導入することは、企業活動や地域経済にとっても、意図しない混乱要因になり得る。地方都市の企業経営者は、行政のデジタル化がもたらす好機を生かす一方で、その危険にも備えなければならない。AI時代の自治体には、企業や住民に対する利益と負担の分配の変化を継続的に追跡し、必要に応じて調整する役割が、これまで以上に求められる。
<PROFILE>
金井利之(かない・としゆき)
1967年群馬県生まれ。89年東京大学法学部卒業、92年東京都立大学法学部助教授、2002年東京大学大学院法学政治学研究科助教授、06年同教授、現在に至る。専門は、自治体行政学・都市行政論・行政学。この間、自治体学会理事長、行政学会理事長などを務める。主な著作に『財政調整の一般理論』『自治制度』(以上、東京大学出版会)『実践自治体行政学』『自治体議会の取扱説明書』(以上、第一法規)『行政学講義』(ちくま新書)『行政学概説』『行政学講説』(以上、放送大学教育振興会)など。











