中洲バトルロワイヤル(1)~好対照のある事業継承の顛末
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寿転売
花子(仮名)は、お店を身内から引き取って17年になる。小料理屋の店主になったのが、27歳の時であった。『サラリーマンの健康管理の台所』という役割を明確にして、メニュー開発に専念した。栄養士の資格を持っていたのも幸いしたという。
材料調達を朝11時頃から始め、当日の仕込みを午後1時から3時間ほどかけて行う。そして午後5時には、スタンバイの状態になる。日によって違うが、オーダーストップが午後9時半。遅くとも午後10時半には店を閉める。休みは基本的には日曜日で、夏場は土日週休2日で商売してきた。客筋は、“ハカチョン”が一番多い。一時は、弁護士の溜まり場にもなっていたこともある。午後6時頃に座って、午後9時まで3時間を過ごす固定客も数多くいた。料理は、家庭料理の味わいでもてなし、毎日予約客が6割占めていた。
花子に言わせると、『私のわがまま経営をお客さんがおおらかに見守っていただいたことに、深く深く感謝します』となる。店の雰囲気も良かったが、飾らず率直な花子の人柄が、お客を呼び込んだのであろう。昨年11月に、相談受けた。「実は、私はお嫁に行くの!!相手は東京で住んでいるから、博多を畳むつもりなので、誰かこの店を買い取る人はいないかしら」。経緯を聞くと、どうも旦那になる人物はハカチョンのお客のようである。「おめでとう!!とうとう花子もお嫁入りか」と祝福した。
今年1月になって、結末を聞いた。最終的には、買手はイタリアンの店に模様替えするとか。17年間、ハカチョンたちの健康維持に貢献してくれてありがとう!!クライマックスの不運
泣子(仮名)は、ミニクラブを経営して20年になる。26歳から、ママとして中洲で店を張ってきた。彼女には、中洲の女性たち特有のアクの強さはない。おっとりしている。ガツガツするタイプではないのだ。だから、誰が見ても『お客、お客と催促することもないのに、よくまー20年も店を維持してきたものだ』と、不思議がられていた。泣子の素人っぽさが受けてきたのであろう。
しかしこの5年間、売上は下降線をたどっていた。収益面では赤字スレスレとなった。泣子は、『赤字が続けば、借金を抱えなければならない。どうしようか?』と、この2~3年迷い続けてきた。『もうさっぱりと店を売って、中洲から足を洗おう』と決断したのが、昨年9月のことである。『居抜きでいいわ。家賃の敷金だけをもらえれば、譲ってもいい』と決断した。
だが、その後の打つ手が間違った。プロに託せば良かったのに、安易にお客に相談したのだ。まず1人目は、酒の勢いで安請け合いしたが、実行ならず。敷金すら用立てできなかった。
2人目の話が、トントン拍子で進んでいった。お客の妻女がママになるという条件であった。だがこちらも、最終的には具体的な進展まではたどり着けなかった。甘かったのは、2人との話し合いにおいて、契約書も交わしていなかったことだ。結果、居抜きによる店の譲渡に失敗した。家主との契約更新期も迫ってくる。もう選択の道は1つしかない。ただ廃店するしかなかったのだ。まさしく、哀れな末路となってしまった。
【青木 義彦】
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