異色の金融再編、山口FG設立の影にいる90歳相談役(3)
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5期10年、頭取を務めた後、退任して相談役に就任した田中耕三氏。その2年後、その飽くなき権力欲が具現化し、山口銀行の歴史に大きな痕跡を残す。山口FG誕生の発端にもなった一連の騒動は、小説「実録!頭取交替」(浜崎裕治著、講談社)のモデルになった。
クーデターの代償
田中氏が自分の後任の頭取に指名したのは田原鐡之助氏だったが、2004年5月、就任からわずか2年で田原氏は更迭される。役員会に田原頭取の罷免案が提出され、過半数の8名が賛成し可決された。代わって新頭取になったのは、当時、最年少取締役であった東京本部長の福田浩一氏だった。
「就任早々、田中氏が頭取時代に膨らませた不良債権を一気に前倒し処理したことや、田中氏と親しい生命保険会社との癒着問題を糺そうとしたことが、田原氏更迭の引き金になった」(OB)。罷免案に賛成した8名は、福田氏以外は組合出身者。いずれも田中氏の子飼いの役員であり、「守旧派」と呼ばれる。この「守旧派」が相談役・田中氏の意向を受けていたことは想像に難くない。虎の尾を踏んだ田原氏を誅すべく、主君のためにクーデターを起こした。
「組合三役(委員長・副委員長・書記長)出身の役員すべてが罷免案に賛成したわけではないが、組合出身の守旧派7士の結束力(忠誠心)が強かった」(OB)。「クーデターは、当時、代表取締役会長であった勝原一明氏が病気となり、退任を決意。自分の退任と同時に、意見が合わない田原氏の罷免を田中相談役に懇願したことから具体的に動き始めた。勝原会長は取締役会議の議長であり、田原氏罷免の動議については、過半数を確認した上で棄権に回ったというのが真相のようだ」(OB)。守旧派の背後に立つ田中氏は、午前中の経営会議にオブザーバーとして参加し、クーデターがシナリオ通り進むのを見守っていたという。
金融庁が「交替の理由が不透明」として調査に乗り出したほど、金融界や地元経済に与えた衝撃は大きかった。中国財務局からは「ガバナンス上の問題がある」と批判されたという。結果として、その代償は山口銀行が払うことになった。「お家騒動で日銀や金融庁に目をつけられ、天下りの話もあったが、結局、破綻寸前のもみじ銀行を引き受けさせられることになった」(OB)。05年に入り、山口銀行はもみじ銀行との資本提携を締結。06年10月、山口FGが設立され、もみじ銀行を傘下に収めた。
北九州銀行の設立もクーデターの代償と見られている。日銀は、福岡市と北九州市にそれぞれ支店を持っていたが、北九州市は地元銀行がなく、北九州支店の廃止論が持ち上がっていた。同支店存続のため、日銀は山口銀行に協力を要請。11年10月、北九州市内の店舗を「北九州銀行」とする形で新銀行を設立した。
(つづく)
【山下 康太】<COMPANY INFORMATION>
(株)山口フィナンシャルグループ
代 表:福田 浩一
所在地:山口県下関市竹崎町4-2-36
設 立:2006年10月
資本金:500億円
経常収益:(16/3連結)1,655億400万円関連キーワード
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