2024年11月25日( 月 )

筑紫女学園新理事長(?)長谷川裕一氏解任の勧め(6)~衰退のスタート

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初めての赤字決算

 筑紫女学園の関係者の皆様方!!ここからドラマが始まります。

 長谷川氏のビジネス人生期を三期に分類したことは承知されていると思います。第二期繁栄・絶頂期が1989年~98年と規定しました。この中盤戦の93年頃から変調をきたす仕込みを行い始めたと指摘したことは記憶されているでしょう。そうです。仏壇・はせがわの行き当たりばったりの多角化経営です。このツケが早速、99年3月期に表れました。はせがわとしては法人化しての初めての赤字決算に陥ったのです。2億76,365千円の赤字の経常となったのです。続いて2000年3月期には7億55,779千円という大幅赤字の2期連続赤字となりました。多角化路線の矛盾が一挙に爆発したのです。

 2期連続という失態時期こそが第三期衰退局面に突入と捉えるべきであるとシリーズ(3)で述べています。長谷川氏のメリハリが効いたビジネス人生は容易に分類できます。結論から述べますとこの衰退局面に突入しても【守りに徹して攻撃に転ずる】ことは可能でしたが、【突進力一筋】しか持ち合わせていないから後退に次ぐ後退で経済人としての信用を失っていきました。私の知る限り、同氏の自前の才能で「企業・組織再生、再建を果たした」実績を知りません。

 この2期連続赤字に追い込まれていた長谷川氏の環境を把握していないと今から始まる「滑稽な行動」の理解はできません。金銭面でも非常に追い込まれたというか自由になる金の規制を受けていたと思います。93年頃から突進力を生かした拡大路線の軌道修正を余儀なくされましたが、その1つがシリーズ(5)で触れたアジアビジネスセンターの改革処方箋でした。

滝本憲二社長首切り画策活動

 アジアビジネスセンターの滝本社長の構想力と実行力には取材する度にいつも感心させられました。【スペースワールドオープン】までの構想から立ち上げまでの経緯の説明を聞かされると「滝本社長は只者ではない」と感服しました。その行動・実行力の集大成が福岡にマレーシア首相(当時)のマハティール・ビン・モハド氏を迎えて講演会を行ったことです。この大事業には吃驚仰天させられました。アジアビジネスセンターの男、滝本憲二が一番、輝いた一瞬であります。

 ただ弱点もありました。資金繰りに無頓着であったということです。過去、大組織の経験しかありません。事業計画を練っても資金調達のことを真剣に考える必要がないのです。中小企業経営者の資金繰りの苦労経験がありません。それが滝本氏の弱点でした。それでも設立スタート時には資本金4.8億円が手元にあります。ルンルン気分になるのも当然でしょう。

 私は滝本社長には会う度にいつも苦言を呈していました。「稼ぎ、日銭が無いと必ず資金枯渇しますよ」と警告を発していたのです。また次のような厳しいことも伝えました。「エンジェル(資本金提供者)の支援も1回きりです。2度目の無心のお願いをしたらアウト=信用失墜になります」という助言のつもりですが、相手は内心では「何を言うか!!」と腸が煮えたぎっていたのではないでしょうか!!しかし、相変わらず日銭稼ぎはスムーズにいきません。予想通りに資金は乏しくなり目先のリストラを敢行する始末です。優秀な人材は散っていきました。

 そこで降って湧いたのが、滝本社長の首切り話です。ある日、同氏から「相談がある」と呼び出されました。「実は長谷川社長が私を社長から引きずり降ろそうとしている。相談に乗ってもらいたい」というものでした。当時は「長谷川社長も無責任な拡大路線のツケを終始できないくせに、よくまー滝本社長の首切り画策にでるものだ」と怒りの念を抱いたものでした。しかし、今となって振り返ると「アジアビジネスセンター設立に資本金をお願いしさらには役員になってもらった方々に申し訳ないという優先思考で頭が一杯だったのだろう」と冷静に判断できます。「本業が隆々としておれば長谷川氏も大人の賢明な打開策を打ちだしていただろう」という推測をしました。

大半は「滝本社長自らが尻を拭け」という意見

 まずはアジアビジネスセンターの取締役、株主の方々にご意見を求めてみたのです。大半の意見を集約してみますと次のようになりました。(1)2回目の増資要請があったとしたら応じません。格調高い会社設立の理念に感動して付き合いで出資しました。配当には当初から期待してはいないし最悪、投資株に失敗して良いという覚悟は持ってはいましたよ。(2)誰がトップになっても事態の打開は無理です。滝本氏に代わり得る人材はいません。彼に最後まで責任を被ってもらう意向です。(3)「滝本社長!!辞任させろ」という長谷川社長は言っておられますが、代わり得る人材はいないでしょう」というものでありました。大半の意見は、「最後は自分で尻を拭け」という自己責任論が賢明だったと考えています。

 滝本社長の考えをあらためて確認しました。「私のやったことは逃げ隠れせずに自分で尻を拭きますよ」と断言したのです。「その覚悟があれば、長谷川社長の滝本社長首切り画策をストップする努力をします」と約束しました。その後、私が「総会屋に転落かも」という事態に直面することを予想だにしていませんでした。

(つづく)

 
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