2024年11月22日( 金 )

大人として、デモクラティックに生きる!(1)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

専修大学法学部 教授 岡田 憲治 氏

 終戦71年目の節目を持ってシールズは8月15日に解散した。シールズは日本の民主主義(デモクラシー)の伝統を守るために、立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確な立場を表明し、デモや街宣などの行動を起こしてきた学生緊急行動であった。彼・彼女らは、その解散メッセージで、「市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかりです。~この動きを末永く、ねばり強く続けていく必要があります。その積み重ねは、長い時間をかけて社会に根をおろし、じっくりと育ち、いずれは日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。~終わったというのなら、また始めましょう。始めるのは、私であり、あなたです」と多くの国民にエールを送っている。果たして、私たち大人は、この彼・彼女らの思いを受け止めることができるのだろうか。
 政治学者である専修大学法学部の岡田憲治教授に聞いた。岡田先生は話題の近著『デモクラシーは、仁義である』(角川新書)で、「デモクラシーは、私たち無力な人間にとって、本当に最後の砦であり、どうしても手放すわけにはいかない仁義である」と説く

価値観は世代を超えて引き継がれるものです

 ――本日はお忙しい中、お時間を賜りありがとうございます。先生の近著『デモクラシーは、仁義である』が巷でとても話題になっています。それにしても、センセーショナルなタイトルですね。先生がこの本をお書きになった動機から教えて頂けますか。

 岡田憲治氏(以下、岡田) 執筆動機は、一言で言えば日本の民主主義(デモクラシー)に危機感を覚えたからです。私たちが民主主義について語る時に、今までは誰もが普通に、共通して持っていた基盤となる価値観が相当にやせ細ってしまいました。それには、諸先輩方が鬼籍に入られたり、世代交代が起こったり、いくつか要因はあります。しかし、民主主義の基盤となる価値観は世代を超えて引き継がれていかなければいけないものなのです。

仁義・デモクラシーが掃いて捨てられます

専修大学法学部 岡田 憲治 教授<

専修大学法学部 岡田 憲治 教授

 岡田 仁義には2種類の意味があります。1つは「挨拶」程度の意味で、もう1つは「約束」、「掟」、あるいは「倫理」といった意味です。つまり何らかの「規範(norm)」、「ルール」、「やり方」、「道義」ということです。

 昨今、現実のヤクザ世界では、もはや任侠の時代の「素人衆には手を出さない義」などは欠片もなく、逆に素人を食い物にして裏世界で利権を貪っていると聞きます。しかし、それはあくまでも裏社会の話なので、公権力の正当な捜査に委ねることにして、ここでは触れません。では、表社会の「政治」において、仁義を外れたらどうなるのでしょうか。簡単な話です。裏社会での理不尽なルール「全ては暴力が決する」というやり方が表世界に浮上して来るのです。つまり、表社会の仁義、すなわちデモクラシーが掃いて捨てられることを意味します。

 現実の政治世界ではすでに様々な形でこの兆候が現れています。これまでの前提だった基礎的な認識が共有されず、「そんなことまで言わないとわからないのか」という場面に遭遇することも多くなりました。これは「単に知識がない」とか「知性が劣化した」というような単純な言い方で済まされる問題ではないと感じています。

民主主義が大事な理由を知りたい人たちに

 岡田 私たちの社会は、政治や民主主義の問題を皆同じ受け止め方をしているわけではなく、それとの付き合い方もまちまちです。そもそも、政治的な立ち位置を各々の価値観に依拠して明確に意識している人たちは、決して多数派ではありません。半数以上の人たちは、きっかけを得ると考えるけれど、そうでなければ通常は、「民主主義とは?」などと考えることはありません。そして、その中にはきっかけが与えられても、己の価値観ではなく、その時の風潮に付和雷同しがちな人たちもいます。しかも、私たちの周りには、民主主義に関するどのような知識や啓蒙の言葉も一切関心を持たない人たちも少なからずいるのです。その意味で、「全ての人に向けたメッセージ」という物言いは、文学的には成立しますが、政治的に有効なものとはなりえません。

 私は本書の読者層を「民主主義を手放しで褒めちぎるほどお目出度くはないが、それでもヒットラーの言いなりになる人生が良いとも思えない以上、自分も他人も説得できる、“民主主義が大事な理由”を知りたい」という人たち、つまり主義主張を確定しているわけではないけれど、自分の頭でものを考えたいと思っている人たちをイメージして書きました。

その時点であなたはもうデモクラッツです

 岡田 ところで、読者の皆さんは、「謂われなき理由で、あるいはその時の統治者や為政者の都合によって、あなた自身が国家や社会の他者から差別的な扱いを受けたり、万人に認められるべき基本的人権を与えられなかったりすることを受け入れられますか?」
 もし、あなたがこの問いに対して「それは到底受け入れることができない」とお答えになるとすれば、仮に今まで、100の悪口をデモクラシーにぶつけていたとしても、もうあなたは立派なデモクラッツです。なぜならば、その時点であなたはデモクラシーという統治制度を道義的に判断(moral judgement)できているからです。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
okada_pr岡田 憲治(おかだ・けんじ)
1962年、東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)専修大学法学部教授。研究対象は、現代デモクラシー思想、民主政治体制、関心領域は、民主政の基礎条件、アジア・太平洋戦争史。著書に『権利としてのデモクラシー』(勁草書房)、『言葉が足りないとサルになる』、『静かに「政治」の話を続けよう』(いずれも亜紀書房)、『働く大人の教養課程』(実務教育出版)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)
『デモクラシーは、仁義である』(角川新書)、共著として『「踊り場」日本論』(晶文社)など多数。

 
(2)

関連キーワード

関連記事