2024年11月26日( 火 )

カンボジア視察レポート(5)~一度は訪れたい「地雷博物館」

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 データ・マックスは9月8日から12日にかけて、恒例のカンボジア視察ツアーを行った。今回の主な目的は、社をあげて支援してきたトゥールポンロー中学校(バンテイメンチェイ州)の卒業生たちへの卒業証書授与。成長を続ける同国の現状を、実際に見聞きする良い機会でもあった。
 カンボジアは経済成長と人口増加の勢いで活気に満ちているが、地雷問題、不十分な教育環境など現在進行形で取り組むべき課題が山積している。現地での体験から見えてきたものをレポートする。

地雷博物館をたてたアキラ氏

 カンボジア滞在3日目。まずは「アキラ地雷博物館」を訪問する。「アキラ(Aki Ra)」とはカンボジア人の人名で、これまでに度々NetIB-Newsでも紹介してきた人物である。少年兵として地雷を埋めてきた過去を持ち、現在は地雷撤去活動や地雷で親を失った孤児や地雷被害に遭った子どもを育てることに人生を捧げている。1999年に最初の地雷博物館を開館、認知が広まった頃に政府から圧力を受け撤去させられたが、支援を受けながら2007年に今の地雷博物館を開館した。アキラ氏は、10年にはアメリカの放送局CNNの「世界のヒーロートップ10」に選出されており、日本にも数度講演に訪れている。

 アキラ地雷博物館に到着すると、入り口の両側にクラスター爆弾が並んでいた。大型のケースの中に小型爆弾を詰め込んだもので、地面に落ちた不発弾がそのまま地雷のようになってしまう無差別性がある。地雷と並んで「悪魔の兵器」と言われ、これまでに多くの民間人を殺してきた。大量の人間を殺すために作られた兵器に出迎えられ、入り口の段階で少し背筋が寒くなる。

 建物の中に入ろうとすると、日本語で声をかけられた。地雷博物館の日本人応援団代表として、博物館ガイドもされている川広肇氏だった。川広氏にガイドをしていただきながら博物館をまわる。カンボジア内戦の背景や、アキラ氏のこれまで、地雷やクラスター爆弾についての懇切丁寧な説明を聞くことで、ただ見て回るよりも遥かに理解が進む。

 途中、若い日本人10数名が「一緒にいいですか」と加わった。あとで聞くと、国際ボランティアサークルに所属する東京の大学生だった。博物館はそう広いわけではないが、川広氏のガイドでじっくり時間をかけて見て回る。ガイドを受ける我々は全員、真剣に耳を傾けていた。

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地雷原を疑似体験

 アキラ氏の少年期は、マシンガンやロケット砲を撃ち、地雷を埋める少年兵だった。ジャングルを進むときは、大人の兵は敵方が仕掛けた地雷を避けるため、少年兵を先頭に歩かせ「人間地雷探知機」として使われたという。アキラ氏と同じ年頃の周囲の子どもは、そうして次々命を落としていった。

 国連平和維持軍での活動を経て、自身で始めた地雷撤去もまた危険だった。地雷撤去といえばヘルメットやプロテクターを装備し、地雷探知機を用いて行うものというイメージは誰にもあると思う。だがアキラ氏は1人で始めたとき、Tシャツに短パン姿で手にはスコップだけ。地雷を埋めた経験やその知識はあったとしても、あまりに危険だが、これまでに驚くべきスピードで数万の地雷を撤去してきた。

 現在は地雷撤去活動に国のライセンスが必要となったために、アキラ氏はNGOを立ち上げ、基準に則りプロテクター、ヘルメットを着けて地雷撤去活動を行っている。しかし、これまでに命を落とさなかった、あるいは大きな負傷を負わなかったこと自体が奇跡だ。

 地雷博物館で最も恐ろしいと感じたのが、「地雷原再現ゾーン」だ。「この先地雷危険」を示すドクロマークの貼られた金網の先には、地雷(もちろん撃針を抜くなどの処置はしてある)が埋められている。覗いてみると、黒い地雷らしきものが1つ見えた。あれもかな、としばらく目を凝らしていると、あちこちにだんだんと地雷の姿が浮かび上がってきた。ぞっとして背筋が凍る。一度目をやりながらも見過ごしたものもあった。これでも、随分わかりやすいように仕掛けてあるのだという。この恐怖を体験するためだけにでも、地雷博物館に訪れる価値はあると思う。

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 最後に売店に寄る。キーホルダーやTシャルなどさまざまなオリジナルグッズが販売されている。売上はアキラ氏の活動や地雷博物館運営のサポートになるという。アキラ氏の著書「My Story」の日本語版があったので、3ドルで購入。わずかながらの支援ですが、と思いながらも、売店の女性が浮かべた笑顔に胸がすく。

 外に出ようとすると、川広氏は途中参加した学生たちに初めのほうの説明をしていた。挨拶もそこそこに博物館を後にする。外で待っていただいていたガイドのシボーンさんによれば、つい先ほどアキラ氏が車でここを通りかかったという。運が良ければ、博物館で会って話すこともできるそうだ。

(つづく)

 

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