カンボジア視察レポート(6)~戦争カメラマン・一之瀬泰三
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データ・マックスは9月8日から12日にかけて、恒例のカンボジア視察ツアーを行った。今回の主な目的は、社をあげて支援してきたトゥールポンロー中学校(バンテイメンチェイ州)の卒業生たちへの卒業証書授与。成長を続ける同国の現状を、実際に見聞きする良い機会でもあった。
カンボジアは経済成長と人口増加の勢いで活気に満ちているが、地雷問題、不十分な教育環境など現在進行形で取り組むべき課題が山積している。現地での体験から見えてきたものをレポートする。戦争カメラマン・一之瀬泰三の墓
地雷博物館の次に、佐賀県出身の戦争カメラマン・一之瀬泰三氏の墓を訪れる。一之瀬氏は1947年生まれ。72年に内戦の激しいカンボジアに入国し、取材を開始。当時、クメール・ルージュの聖域で地元の人々も近づけなかったというアンコールワットへの潜入を何度も試みていた。そして73年11月、親友宛ての手紙に「地雷を踏んだらサヨウナラ」と書き残し、アンコールワットへ潜入してそのまま消息を絶った。後にアンコールワット近くのプラダック村で一之瀬氏の両親により遺骨を確認。クメール・ルージュによって処刑されたものと見られている。
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そのプラダック村に一之瀬氏の墓はある。墓は村の人々によってつくられたという。車を降り、舗装されていない土の道を歩いて向かう道中、村の子どもたちが池に飛び込んで遊んでいた。ガイドのシボーンさんが何か話しかける。「気をつけなさいよー」と言っているようだった。その様子を見ていた別の子どもたちがニコニコしながらついてくる。墓はほとんど観光地のようになっているため、我々のような外国人旅行客は珍しくないはずだが、嬉しそうな顔だった。
木でできた橋を渡ると、墓が見えた。白い雲が浮かぶ晴天の下、墓は広がる緑に囲まれていた。村の人々が手入れをされているのか、墓は自然のなかにありながらも綺麗に整えられていた。墓のそばには一之瀬氏の写真や、一之瀬氏の生涯を基にした映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」のポスターなどが飾られている小屋がある。その柱に縛ってある縄をブランコのようにして子どもが遊ぶ。惨劇に見舞われた一之瀬氏が埋葬された墓の横にある、平和そのものの光景に、祈りたくなる気持ちになった。
お参りの後、一之瀬氏が愛したというレストラン「バンテアイ・スレイ」で昼食をとる。なかには一之瀬氏のアンコールワットへの道のりの記録や、ドキュメンタリー映画「TAIZO」の監督、中島多圭子氏が寄せた文、そして一之瀬氏のご両親の写真と、母・一之瀬信子氏が寄せた挨拶が大きく展示されていた。メニューには、料理について日本語で簡単な説明があった。一之瀬氏が愛したという料理の一覧もあり、そのなかから注文して、美味しくいただいた。
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(つづく)
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