城ガールが巡る日本の名城~南海の名城・高知城(9・中)
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400年前に築かれた石垣
天守を目指し、階段を登っていく。踏み段の幅を段ごとに変えてある階段は登りづらく、曲がりくねった道のせいで階段の終わりが見えない。すぐ脇に積み上げられた石垣には苔が生え、木々に囲まれた道はほのかに薄暗い。
高知城には野面積みという自然石を積み上げた石垣が多く、これには理由がある。野面積みは頑丈なだけでなく、排水能力にも優れているため、雨が多い高知の土地柄に適しているのだ。皆でガイドのおじさんが開いたファイルを覗き、まとめられた資料と実際の石垣を見比べながら解説を受ける。その姿はまるで先生に教えを乞う生徒のようで、大好きな授業を受けていたときの学生時代の思い出が蘇ってきた。一緒に“授業”を受けている夫妻と感想を交わしながら、城内を巡っていった。※クリックで拡大
後世に遺していくべきものたち
三の丸の石垣は、見上げるように高く、美しい。以前この石垣を全て崩し、積みなおしを行ったという。崩した理由は、もちろん修繕のためだ。三の丸に植えた木の根が、石垣に悪さをしてしまったと、ガイドのおじさんが教えてくれた。また、「三の丸の石垣は、崩したときに石全部に番号を振って記録を取ってるから、また崩れても大丈夫」とのこと。縁起でもない話だけれど、熊本城の崩れた石垣を思い返す限り、やはり最悪の事態を想定して対策を講じなければ、お城を後世に遺すことも難しいのだと考えさせられる。
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また、自然災害と併せて、人によってもたらされる害についても考えていかなければならない。
重要文化財に指定されている詰門は、本丸と二の丸を繋ぐという重要な役割を持つ黒塗りが美しい櫓門だ。1階は籠城用の食料貯蔵蔵、2階は家老・中老の詰所として利用されていた。私がお城を訪れたのは10月の上旬。詰門1階の門は、固く閉ざされていた。以前は年中解放されていたこの場所は、建物内でたばこの吸い殻が見つかったことをきっかけに、春の季節に約一週間という短い期間のみ、見張りを付けた状態で解放される形へと変わった。他のお城でも、興味本位で石垣に登ったり、天守や櫓などに落書きをしたりと、最低限のマナーすら守れない人がいると感じることは多い。史跡に限らず、未来へ継承していくモノに対しての最低限の礼儀は必要ではないだろうか、そう感じずにはいられないエピソードだった。※クリックで拡大
(つづく)
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