山口銀行の一従業員からの手紙~その波紋
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「山口銀行の一従業員からの手紙」が届き、NetIB-Newsは18日、その赤裸々な内容に、『当社編集部では何ら手を加えることなく、原文を掲載し読者の判断に委ねることにしたい。この文章からは今話題の電通の鬼十則以上のものが伝わってくる。』と掲載。
今も大きな波紋を投げかけているが、別紙原文の中段に の文章がある。
その文脈のなかにある、「また久野耕一郎は山口銀行員が持ち家一軒持つのさえ無理なのに、彼は下関市と宇部市にマンションを所有し、のうのうと、している有様です」との記載は、間違っていることわかった。
それがわかったのは、現在当社顧問の浜崎裕治氏のもとに届いた久野氏からの喪中葉書だった。顧問は元上司であり、その葉書の左上隅に、「宇部のマンションは昨年売却し、長男の仕事の関係で、下関市にローンでマンションを購入しました」と書かれ、最後に「教えを守り、自分なりに、正々堂々と生きています」との言葉が綴られていたからだ。これから求められる取締役像
取締役といえども、山口銀行という大きな組織の一歯車であり、その組織のトップを守るために悩み苦しみ、心を鬼にして部下を叱咤しなければならない局面もあるが、その部下にとっても、それ以上の苦しみに耐え忍んでおり、何気なく優しい言葉のひとつでもかけていれば、大切な命を救えたのかもしれない。
『山口銀行「支店長」死を賭して諫言~下関ゴルフ倶楽部の実態(前)』(16年10月12日付)に掲載されているので、詳細は省略するが、浦喜智嗣氏が八幡中央支店長当時の上司は八幡支店長だった久野氏。自殺した豊浦支店長の時の上司は再び久野取締役本店営業部長だった。
浦喜豊浦支店長の自殺は、下関ゴルフ倶楽部の融資を取り上げなかったことや本店営業部長の勧めがあっても、下関地区の支店長の中でただ一人、林兼産業のハム・ソーセージを買わなかったことも影響したのではとの話も断片的に伝わってきている。久野氏は6月に常務に昇格し、山口銀行徳山支店長に就任。その徳山支店は地区のOBとの懇親会を3カ月に一度開催しており、10月19日(第三水曜日)の「清研会」に吉村猛頭取が出席したという。その話し合いのなかで、会員の多くから、“2004年の頭取交代劇”以来、山口銀行のOBは二分されている。吉村猛新頭取は今こそ信念をもって山口銀行、いや山口FGの改革を断行し、現役とOBが一体化した「山口シンパの体制を築いてほしい」との意見が、会員の多くから寄せられたといわれる。
OBで当社顧問の浜崎氏も、「人口の減少に伴い地域経済は縮小しており、地銀そのものが今後生き残れるかどうかが問われている。今まさに山口銀行に求められているのは、顧客・行員・OBが三位一体の体制を築くことが大切であり、久野常務は心を新たに、同期である吉村頭取と力を合わせて、改革の旗振り役を担ってほしい」と、切々と語ったのが印象的だった。【データ・マックス特別取材班】
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