【倒産を追う】ロビンス物語「許可業の落とし穴編」(前)
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2009年6月25日、鹿児島市に本社を置く手形割引を中心に事業者向け貸金業を行ってきた金融会社(株)ロビンスの解散が株主総会で決議された。同29日、同社は鹿児島地裁に特別清算を申請。負債総額は132億円。当時、鹿児島県内最大の倒産として注目を集めた。手形取引の減少から、すでに同業者の数も減り始めたなかでの倒産であったが、同社の場合、経営者一族の過去の不祥事が直接的な原因である。許可業に共通する“落とし穴”とは何か。その倒産から特別清算終了までを見てきた同社関係者の証言をもとに追う。
時代のニーズを受けて業容拡大
ロビンスは1965年創業。82年4月に法人化した。創業当初は衣料販売を行う会社であったが、いつの頃からか、事業者向け貸金業に転換。今回、取材に応じた同社関係者X氏が入社した2002年頃には、衣料販売会社の面影は皆無であったという。代表取締役社長は、創業者の妻。実際は、その長男が専務、次男が常務として、会社のかじ取りを行っていた。2人はともに40代で、X氏は初めて会った時、「事業意欲の旺盛な若手経営者」という印象を受けたという。
商工ローンの会社で約10年務めていた経験のあるX氏は、ロビンスにとっては中途採用の即戦力として期待された。入社後、すぐに福岡支店の再割部に配属され、積極的な事業展開を図る専務を実務面でサポートし、深い信頼を得るようになった。X氏の入社時、ロビンスは「手形割引の専門商社」として福岡以外にも、熊本、宮崎、沖縄、岡山に支店を展開していたが、加えて03年5月にも東京支店、04年3月に大阪支店を開設。そして同時に不動産担保融資のリファイナンスに着手した。
ロビンスが行っていた不動産担保融資は、顧客に手形を振り出してもらい、それを各金融機関で割引し、現金化してまわすというやり方だ。各金融機関では、融資枠設定は厳しいが、割引枠のほうは作りやすい。融資の種類は、大きく分けて2通りあり、返済が長期になる自社物件と、数カ月から2年程度と返済期間が短い商品物件があった。06年から08年まで、不動産の動きが激しく、商品物件は2~3カ月で売却されており、回転率が良かった。ロビンスは時代のニーズもあり、新たに始めた不動産担保融資のリファイナンスで順調に業績を伸ばしていった。しかし、これが後に大きな仇となる。
X氏が入社して業務に慣れた頃、ロビンスにもう1人の経営者一族が在籍していることを知った。創業者の三男である。東京支店開設後、東京支店の経理責任者としてX氏に紹介された三男は、以前はアパレル系の仕事をしていたなどというふれこみで、ノーネクタイのジャケット姿といったラフな格好が多く、経理責任者といっても毎日は出社していない様子。ただし、会社には経理担当者が他に2人おり、三男不在でも回っていた。「仕事熱心な兄2人に比べると、実の兄弟かと疑われるような人物だった」というX氏。他の社員の間でも評判は良くなかった。
その“異質な存在”をすぐに忘れてしまうほど、ロビンスは商売繁盛で忙しかった。売上高は、03年3月期11億円から08年3月期17億円にまで伸びた。X氏は、業容が拡大するなかで、その貢献が認められ、06年4月に営業部長に昇進。会社とともに順風満帆であった。しかし、2つの想定不可能な事態がすべてを台無しにした。1つは、08年9月のリーマン・ショックによる不動産市場の冷え込み。そして、もう1つは、“異質な存在”であった三男が抱えていた大きな火種であった。
(つづく)
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