大河ドラマ・直虎で脚光の「井伊家」 受け継がれた彦根城の魅力(前)
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現在NHKで大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送中だ。この物語の主人公「井伊直虎」は、遠江国井伊谷(現・静岡県浜松市)の領主で、諸説あるが”女性”だったといわれている。ドラマ内では、少々天然ながらも真っすぐな心で周囲を引き込みながら、「女領主」として奮闘する姿が描かれている。
8月に入り、ドラマも折り返し点を過ぎた。物語は佳境に入っていくが、今後活躍が期待されるのが後に徳川四天王の1人となる直政(幼名・虎松)だ。直虎が守った名将・直政
井伊家当主の直盛が桶狭間の戦いで戦死、次いで井伊家を継いだ直親も、謀反を企てたとして今川に殺されてしまった。直親の子・直政は命を狙われる立場となり、故郷を離れ匿われる生活を送るも、徳川家康の下に仕えたことを機に、日陰から表舞台に立つことになった。
直虎の死後井伊家を継いだ直政は、朱色の甲冑「井伊の赤備え」をまとい、小牧・長久手の戦いで武功を挙げその名を全国に轟かせた。
「井伊の赤備え」は、彦根城内にある彦根城博物館に展示されており、間近で見ることができる。一様に並べられた「井伊の赤備え」は、戦乱の世を思い起こさせるような不気味かつ重々しい雰囲気を漂わせていた。
彦根市のキャラクターひこにゃんが被っている兜も、「井伊の赤備え」がモチーフになっている。
凄惨な落城を遂げた三成の城 直政の築城への焦がれ
直政に契機が訪れる。天下分け目と謳われる「関ヶ原の戦い」だ。
家康率いる東軍として参戦し勝利を治めた直政は、西軍・石田三成が統治していた佐和山(現・滋賀県彦根市)へ移り、佐和山(彦根)藩の初代藩主となる。三成の居城だった佐和山城は、「三成に過ぎたるもの」と謳われるほど名城だったが、関ヶ原の戦いの後の落城は悲惨なものだった。佐和山城の本丸の近くに「女郎ヶ谷」と呼ばれる谷がある。徳川方に攻め入られ、逃げ場を失った女たちは谷に身を投げた。しかし運悪く死にきれなかった女たちのうめき声が谷底から響き、三日三晩続いたと伝えられている。
直政は佐和山城を嫌い、新しく城を築くことを決意した。これがのちの「彦根城」だ。しかし、直政は城の落成を待たずしてその生涯を終えることになった。その死因は、関ヶ原の戦いで負った傷が原因だったと言われている。
(つづく)
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