2024年12月24日( 火 )

儀式としての葬儀から故人を悼むための弔いへ(後)

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僧侶と読経は絶対に必要なのか

 最近話題になったAmazonの新サービス、『お坊さん便』。Amazonでチケットを「購入」することで、「ご自宅・お墓などに出向き法事法要(読経・法話)を行う僧侶を手配する」というものだ。運営しているのは、格安なお葬式を提供する『シンプルなお葬式』、ご遺骨を海に散骨する『海洋散骨Umie』、宇宙葬を実現する『Sorae』などさまざまな葬祭サービスを提供している㈱みんれび。お葬式以外でもお仏壇、墓石、供花、永代供養墓など手広い展開を行っている。『お坊さん便』のAmazonでのリリースは大きな反響を呼び、かなりのオーダーが入ったと聞かれる。そこで異議を唱えたのが、全日本仏教会であった。

 全日本仏教会は、日本の伝統的仏教宗派をとりまとめる存在。全国のお寺の9割が全日本仏教会に加盟しており、いわば日本の仏教界を代表する立場だといえる。傘下のお寺の数は7万5,000、全国のお寺の9割にも上る。

 全日本仏教会はこのサービスに反対する声明を発表。このなかには「(お布施は)修行(※)の一環であり、法事に対する対価ではない」というコメントがあるが、一見わかりにくいこの考え方こそが、「坊さんを呼ぶと『お布施はお気持ちで』といわれ、いくらかかるかわからない」という不安感の源泉になっている。対して仏教会側としては、「お布施は修行」であるという前提を崩すわけにはいかないからこそ、全国一律で「料金」を決めている「お坊さん便」の存在を許容できないのだ。

 しかし実際には、仏教会の反対にもかかわらず「お坊さん便」は定着したといっていい。カスタマーレビューには、これまで旧態依然とした仏教界への反感混じりのコメントが並んでいる。やはり、これまでの葬儀や法事に納得していなかった人々がそれだけ多かったということが見て取れる。

葬儀をめぐる事情が変わっても変わらない本当の意味

 ここまで見てきたように、葬儀に対する社会的・宗教的な意味づけは徐々に減少している。とくに核家族化が進んでいる都市部では、「地味婚」ならぬ「地味葬」への動きはおそらく今後も変わることはない。都市部の霊園に出向くとわかるが、墓石の様式もまた多様に変化を遂げている。

 では、将来の日本人は葬儀を必要としなくなるのだろうか。葬儀が持つ本来の意味を考えるならば、この仮定には「ノー」という返事がふさわしい。

 人が亡くなったとき、現実的な面だけでいえば墓埋法(火葬、埋葬について定めた法律)に定められた処置だけを行えばよい。しかし、それでは大切な家族を亡くした遺族の強い悲しみは埋められない。これを和らげるためのケアが「グリーフケア」である。グリーフケアにはさまざまな段階があるが、まず故人が亡くなったこと、遺族皆でそれを悼んでいることを認識する必要がある。そのための最初のステップが葬儀にあたるのだ。この意味において、葬儀が持つ意義が薄れることはない。

 儀式としての葬儀の形はさまざまに変化していくが、故人を悼みその冥福を祈るという気持ち自体は変わることはない。死に対する向き合い方も、また多様になりつつあるのが現代の趨勢なのである。

(了)
【深水 央】

※この場合の「修行」とは、お布施を出す側の修行のことを意味する。お布施とは「慈悲をもって他人に財施などを施すこと」(日本仏教会の声明より)で、法事を依頼する側が僧侶に施しをすることが、「修行」になるとされている。お布施の金額を僧侶の側から提示できないのはこのため。葬儀を主宰する立場が「施主」といわれるのもこの理由による。

 
(前)

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