中洲スナック経営の厳しい現実、「マツコ」に乗っ取られた店
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中洲バトルロワイヤル
高齢化・後継者不足が深刻化
中洲で営業するクラブ、スナックといった飲み屋の数は約1,300軒。なかでも大半を占めるスナックで“異変”が起きている。今年の夏を前に、とあるスナックが長い歴史に幕を閉じた。老舗ながらも、きれいに使われていた店は、とくに「中洲一トイレがきれい」と有名。不動産関係者にも依頼し、店内設備や賃貸条件などはそのままでテナントを引き継ぐ人を探していたが、ついには見つからず、閉店を迎えることになった。
ママの高齢化とともに深刻化する後継者問題。店の常連もママと同様に年をとり、足腰が弱まり、中洲から遠ざかる。さらに、いまどきの飲み屋の娘に独立志向は低く、テナントが空くのを待つ人材はいない。店を開ければ儲かるというのは遠い過去の話で、営業努力で常連を作っていかなければ生き残りは厳しい。
小規模店舗の難しさもある。10坪ぐらいの広さだと、ママ以外にスタッフ3~4名は必要。当然ながら、人を雇えば人件費がかかる。「独立志向のない人は、将来の店のために自分の顧客を作ろうという気がない。営業も店から言われて義務的にやる反面、時給という権利への執着は強い。気づけば、オーナーやママ、店長が、時給を払うために必死に営業している。これでは誰のための店かわからない」(元飲み屋経営者)。売上「ゼロ」も珍しくない状況では、必要な時だけ呼べる派遣コンパニオンに頼るのが現実的だ。しかし、いつもピンチヒッターばかりで、「はじめまして」が当たり前だと店のリピートにつながりにくい。
従業員に食い物にされた店
数年前、小生の親友が雇われ店長を経て独立した。20代から中洲で働き続け、ついに念願を叶えた。オープンの際は、友人や以前の店の常連が集い、盛大に祝ったものである。以来小生は、しばらくその店に通い続けたが、ある日、店に入ると、圧倒的な存在感を放つ女性が視界に飛び込んできた。その風貌から、後に店長との間で「マツコ」と呼ぶようになる女性は、飲み屋の経営経験が豊富なベテランとして、知人の勧めで雇うようになったという。
経営経験が豊富なら店に連れてくる顧客の数に期待してもいいだろう。そんな店長の皮算用は数日でご破算となった。早々に、店内で最も目立つ奥のボックス席が「マツコ」の指定席となり、営業メールを打つ店長を後目にお茶をすする。入店時は従順だった20代の若いスタッフも、いつの間にか「マツコ」の子分となっており、悪い大人の“要領”を叩き込まれていた。会話のほとんどは武勇伝。出てくるキーワードは、「ケーサツ」「ケンカ」「ホスト」「ヤクザ」。小生は、客に飲んでいるように見せかけるための“ノン・アルコールドカクテル”(1杯1,000円)の作り方を目の前で実演(有料)していただいた。
客足はどんどん遠ざかる一方、“動かざること山の如し”が「マツコ」の座右の銘のようだった。客はまったく連れて来ないが、時給さえもらえればいいというスタンス。むしろ、ヒマなほうが仕事で楽ができるというものだ。そのうえで、きっちり時給を要求する。店の終末期には、店長が無給で「マツコ」一派の時給を稼いでいたという悲惨な状況に陥っていた。本当に誰のための店なのか、わからない。
「もうスナックは時代遅れ」という声も聞くようになった。しかしながら、厳しい状況のなか、健闘を続ける老舗スナックのママも少なくない。次回は、そんなママの奮闘を紹介したい。
【長丘 萬月】
<プロフィール>
長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
福岡県生まれ。雑誌編集業を経てフリーに転身。よく言えば「現場主義」でひと通りの「ボッタクリ」を取材し(被害に遭い)、蓄積したデータをもとに「歓楽街の安全・安心な歩き方」を勝手にサポート(武勇伝として語るだけ)している。自称「中洲飲み屋のコンサルタント」だが、実際は愚痴の聞き役で最後は店で寝てしまう。腹周りと肝臓の脂肪が気になる今日この頃、それでも中洲に毎日出没する。関連キーワード
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