シリーズ 部下の目から見た高塚猛(4)~島津三郎氏・星期菜(株)取締役
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星期菜(株) 島津 三郎 取締役
「高塚氏には、人を結びつける魔法のような手腕があった」
高塚さんは、人と人を結びつけるのも抜群に上手な方でした。赴任当初の全セクション部長会議の席で、高塚さんから言われたことがあります。「島津さん、ところでドーム担当のA君はどんな仕事ぶりかな?あなたの評価を教えて下さい」と。でも、私にA君のことをわかるはずがないのです。なぜかというと当時、ドームとホテルの間にはいわゆる「厚い壁」があって、ちょっとドームに行くのにも通行許可証をもらわないといけないし、それが無ければ容赦なく警備員に止められました。そんな事情なので、よほどの用件がない限りドームに行くことはありませんでした。だから、「私はホテル担当ですよ。だから彼とは一緒に仕事をしていないので判断できかねます」と答えました。そうしたら高塚さんは寂しそうな表情で「かわいそうだね」とおっしゃいました(笑)。「A君のことを本気で見てあげてないんだ。冷たいよね」と。
そんな事があった後すぐに、ホテルとドームの通行がフリーになりました。また「冷たいよね」なんて言われたら困るから、ちょっと時間が空いたらドームに行って色んな人と話すようになりました。顔と名前が一致する様になり、誰がどんな仕事をしているのかわかり始めたころ、高塚さんがドームレストランとホテルレストランの責任者を入れ替えたのです。ホテルレストランの社員は内心ドームレストランのことを下に見ているところがあって、その配属がいやで辞めていったホテルの人間もいます。もちろん、レストラン以外でも多くのセクションで配置転換が行われ、その結果として徐々にドームとホテルが一体化してきたのです。料飲部長だった私には「スーパーボックスの面倒も見てほしい」との指示があり、どうしてもドームに行く回数が増えるようになりました。
当時、ホテルの宿泊部長は佐藤さん(後の球団代表)という方で、料飲部長が私。宴会部長が吉村さんという方でした。ホテルを動かすにあたっては、この3人がキーパーソンだったのです。ただ、私と佐藤さんはとんでもなく仲が悪かったんですね、役職上揉めることが多くて(笑)。たとえばパッケージ料金で、1泊2食つきで1万5千円だとすると、宿泊部長の佐藤さんが「うちが1万円もらう」と。そうすると料飲部長の私が「冗談じゃない、2食提供してうちが5,000円はない!逆だろ」と、よくやり合っていたんですよ。それを高塚さんは気づいておられた様で、ある時、「毎朝、部長3人でお茶を一緒に飲みなさい」と指示がありました。
ホテルロビーのティーラウンジ裏に小さなバルコニーがあり、前が海で眺めは良かったので毎朝時間を決めて集合し、3人でお茶を飲むようになりました。初めは気まずい雰囲気でしたが、日を追うごとに徐々に打ち解けていきました。よく話すようになると冷静な判断ができるようになり、「今度のパッケージは宿泊重視で行きましょう!今回は譲るよ」なんて阿吽の呼吸が生まれるようになりました。もちろん、逆もありました。
もっとすごいのは、各部のスタッフにもそれが波及していったのです。それまでは料飲部が宴会のヘルプに行ったりすると、裏で殴り合いの大ゲンカをするくらい仲が悪かったのですが、次第にマネジャー同士も仲良くなっていきました。上司同士の仲が良ければ、スタッフも自然と仲が良くなるものです。そんな魔法のようなことが数えきれないくらいあって、話すときりがないくらいです。
(つづく)
【NetIB-News編集部】<プロフィール>
1949年生まれ、福岡市中央区出身。西南学院高校卒業後、東京YMCA国際ホテル専門学校を経てホテルオークラ東京へ入社。1970年代に九州初のフレンチレストラン「花の木」を立ち上げ。その後、複数の飲食店支配人を経て、1995年にシーホークホテルアンドリゾート入社(中華料理「龍殿」開業準備室支配人)。料飲部長、取締役総支配人を歴任して退職後、「ブッチャー警固」を開業。現在は「天職」と語るギャルソンとして中華料理「星期菜」に立つ。
●星期菜
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