どんな荒波も乗り越える結束力 社内改革で社員が輝ける環境整備へ(前)
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(株)益正グループ
1993年11月、博多駅前に「居酒屋レストラン益正」を開業後、福岡県内で複数の飲食店を展開する(株)益正グループ。時代の変化にともない栄光と挫折を経験してきた同社だが、脱・居酒屋の取り組みで業績は回復基調にある。創業者であり、現在も現場の最前線でリーダーシップを取る草野益次社長に現在までの取り組みと今後の戦略を聞いた。
9業態19店舗展開「脱・居酒屋」の飲食店
かつては4業態20数店舗を展開していた(株)益正グループ。当時の店舗は比較的大型のものが多く、郊外にも出店を進めていたが、近年は業態を増やして店舗面積を縮小し、都心部へ店舗を集中させ、9業態19店舗を展開している。複数業態をもつ飲食チェーンへと変貌した同社は、食に力を入れており、手づくりハンバーグとサバが好評の「和洋キッチンGEKI」、ブランド卵「つまんでご卵(らん)」を使用した「卵のアート」、新感覚のカフェレストラン「MASTARS CAFE」「日本市海鮮酒場黒 KURO」といった個性的な店舗を運営している。これらの店舗には「益正」の名前が出てこない。あえて企業ブランドを表に出さず、店舗名を全面的に出すことにより、商品力で勝負している。
従来は、居酒屋を主体としてきたが、5年ほど前に“脱・居酒屋”を宣言した後は食に力を入れた店舗展開を行っている。ランチやディナーといった食(料理)が主体だが、アルコールに頼らずとも業績は回復基調にあり、2016年3月期までは7期連続で黒字決算となっていた。
17年3月期決算の売上高は新規出店の効果もあり、15億1,940万円と前期比で6%増となった。この間、期首に出店を行ったが、直後に熊本地震が発生したことで宴会キャンセルが相次いだ。期末に北九州の2店舗を閉鎖したことに加え、16年秋に異常なほどに高騰した野菜の影響もあり、最終利益は5,867万円の赤字に転落した。自然災害や予期できない事情のため赤字となったものの、“アルコールは飲まなくても人は、昼と夜に食事をする”という原点に立ち返って事業を再構築したことが現在の回復基調につながった。
もともと同社は卵料理が強みだったことから、11年12月に自社で「つまんでご卵」の農場をFC展開している。自社PB(プライベートブランド)商品の開発を積極的に行うなど、食の分野には惜しまず投資してきた。食へのこだわりがうかがい知れる。
時代の変化に順応厳しい状況乗り切る
同社は創業から8年後の01年4月、福岡市中央区薬院に自社ビルを保有する企業となった。草野社長自身も“時代の寵児”として、多くのマスコミに取り上げられた。草野社長は学卒後、大手居酒屋チェーンの皿洗いからキャリアをスタートさせ、店長に昇格後わずか半年で全国でも指折りの売上高を誇る店舗にまで成長させたことで知られる。
同社は、ピーク時には売上高30億円に達し、一時期は中国にも進出した(現在は撤退)。だが、順風満帆な時期は長く続かず、01年、02年の酒酔い運転および酒気帯び運転の懲役刑の年数と罰金の大幅増額となる道路交通法改正の罰則強化と、04年の飲酒検知器拒否は罰金30万円が加わった同法の改正により車の利用者が多い店舗は集客減が見込まれることから、郊外店を撤退。06年8月の福岡海の中道大橋飲酒運転事故の飲酒運転厳罰化により、居酒屋業界全体が大きな影響を受けた。
さらに、11年3月の東日本大震災にともなう自粛ムード、交通網の混乱による通販事業における約2,000万円の赤字などといった大きな影響を受け、業績が傾いた。
だが、そのような時期でも原点に立ち返り、さまざまな要素を1つずつ見直し、再建を図った。最たる例は、草野社長自らが現場に入り、人的配置のオペレーションなどを見直したこと。店に出ることで来店客と対話し、今求められているもの、トレンドなどを直接感じ取ったという。その地道な積み重ねでさまざまな課題が改善されていく。かつては出店攻勢を強めるあまり、現場の人材育成が追い付かず、それが経営不振の一因となったが、このことを反省し、改善につなげていったという。
(つづく)
【矢野 寛之】<COMPANY INFORMATION>
代 表:草野 益次
所在地:福岡市中央区赤坂1-4-27
設 立:1996年4月
資本金:5,000万円
売上高:(17/3)15億1,940万円関連記事
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