震災復興が結んだ日本とネパールの新たな絆!(3)
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映画監督・東京情報大学総合情報学部教授 伊藤 敏朗 氏
JDRの海外での活躍を初めて描いた映画である
――ここから、4月に公開が迫る映画『カトマンズの約束』の内容に入ります。これは、どのように製作されたものなのでしょうか。どのような特徴を持っていますか。
伊藤 『カトマンズの約束』は大きく分けて2つの特徴を持っています。もう一度、今までのお話を簡単に整理します。2015年4月25日、ネパールを襲った巨大地震は同国に甚大な被害をもたらしました。
世界は、この小さくも美しい国に、ただちに救援の手を差し伸べました。そして、日本からは現地に国際緊急救助隊(JDR)が派遣されました。そこで、JDRと現地のネパールの人々の間に、同じ震災国どうしの新たな絆が生まれました。
主演・プロデューサーのガネス・マン・ラマ氏は、実際にこのJDRの現地活動に惜しみない協力をしました。これらの実話を基にラマ氏とJDRを主人公としたドラマができたわけです。撮影はネパールの首都・カトマンズの瓦礫のうえでクランクインしました。本作は、海外ではかなり有名なのですが、日本人にはあまり知られていない、国際緊急救助隊(JDR)の海外での活躍を描いた初めての映画であり、またネパール国内において、2015年の大地震をテーマとした最初の映画でもあります。これが1つ目の特徴です。
マサラ・ムービーをベースに瓦礫のうえで再開
もう1つの特徴は製作手法にあります。先のお話でおわかりのように、本作は2015年4月25日に起きたネパール大地震で進行を中断されたマサラ・ムービー『マイ・ラブ』をベースに瓦礫のうえで再開されました。
マサラ・ムービーとは、基本的に、男女のメロドラマに歌と踊りとアクションが挿入されるインド・ネパールの大衆娯楽映画のことを言います。すなわち、大地震における実話を下敷きにしながら、そこにマサラ・ムービーの味付けをしてあります。私にとっても冒険でしたが、ラマ氏の協力を得て、日本人とネパール人の愛と友情を織り交ぜ、両国文化交流まで訴えるという前代未聞の映画づくりに挑戦しました。これが、2つ目の特徴です。本作には、『マイ・ラブ』のためにすでにつくられていたセットや歌・音楽が使用され、主人公たちが、ヒマラヤを背に踊る場面も挿入されています。まるで、高校生の頃、男女の生徒が入り混じってフォークダンスをした時のような楽しさがこみ上げてくる場面もあります。
私も最初は、このかけ値なしの幸福感は気恥ずかしかったのですが、撮影が進行していく過程で、これこそネパール映画の魅力だと実感するようになりました。一方、災害救助活動などの緊迫した場面、余震の地滑りで危機に陥った場面などは、とても真摯に向き合って描きました。結果的に、大地震を背景にしながらも、ネパール・テイスト満載のメロドラマという、ほかにはない仕上がりになりました。JDRの制服を着た日本の俳優陣たちが握手攻めに
――撮影過程において、大変だったこと、面白かったこと、楽しかったことなど、エピソードはありますか。
伊藤 日本の国際緊急救助隊(JDR)の海外での活躍は有名で、とても高く評価され、現地の人々に喜ばれています。現地でロケ撮影中のJDR副隊長北沢雅人役の早田友一さんら日本の俳優陣が劇中の衣装(JDRの制服)のまま街を歩いていたら、震災からすでに4カ月近く経っていたにもかかわらず、行き交う人々から次々と「ダンニャバード(ありがとう)」と声をかけられ、握手攻めになりました。早田さんらも、「我々は本物ではないんですが」と言いつつ笑顔で力強い握手を返し、貴重な交流をはたしてきました。
1956年の国交樹立以来、日本はネパールへの経済面や教育面で大きな支援実績を有しています。そのため、今、ネパールはアジア随一の親日国となっており、日本に寄せる信頼や憧れは大きく、日本語の学習熱も盛んになっています。被災地に急ごしらえしたJDRの医療テントには、日本大使館からの要請で、現地の日本語学校で学ぶ生徒たちがボランティアとして駆けつけました。その場面も映画に描いています。
今回、ネパールの伝説的女優であるチャイティア・デビ女史が友情出演してくれました。立ち入り禁止の民家にこもってしまうネパール人のおばあさん役を演じました。女史は日本での滞在経験が長く、日本語も堪能で、私は日本で知り合いました。ネパール映画史研究においても支えていただき、懇意でしたので、スクリーンに登場していただきました。このことはネパールのマスコミで大きな話題となりました。
(つづく)
【金木 亮憲】【チャイティア・デビ女史】ネパール初の国産劇映画『アマ(母)』(1965年)で母親役を演じ、その才能が認められモスクワ映画大学院に留学、イーゴリ・タランキンやセルゲイ・ボンダルチュクに師事してマスターを取得。帰国して、ロイヤル・ネパール映画公社職員となって、ネパール初のカラー映画『クマリ』(1977年)に主演。ネパールで初めて、国際映画祭「モスクワ国際映画祭」にも出品された。1982年には、『ジーワンレカ』で助監督として演出も手がけている。
<プロフィール>
伊藤 敏朗(いとう・としあき)
1957年大分市生まれ。現・東京情報大学総合情報学部教授(18年4月より、目白大学メディア学部特任教授に就任予定)日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了・博士(芸術学)ネパール映画監督協会に所属する唯一の外国人監督で、ネパール映画の第1人者。
『カタプタリ~風の村の伝説~』(中編劇映画、2007年)でネパール政府国家映画賞を受賞。ネパール文学最高峰の文芸大作『シリスコフル(邦題「カトマンズに散る花」)』(2013年)で、ネパールデジタル映画祭批評家賞、ネパール政府国家映画撮影賞を受賞。著書は『ネパール映画の全貌‐その歴史と分析』(2011年、凱風社)など。関連記事
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