政治経済学者 植草一秀
日本が批准している核兵器対策の条約はNPT。NPTは条約の通称“Non-Proliferation Treaty” の略称で、正式な条約名は“Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons”“proliferation”は拡散という意味。「核拡散防止条約」と呼ばれる。
第二次大戦後、核兵器の保有は戦勝五か国=P5=“Permanent Five”=国連安全保障理事会常任理事国に限定された。NPTとはP5以外に核兵器を保有させない条約である。言い換えると、核兵器を戦勝5ヵ国=P5に独占保有させる条約。勝者の論理に基づく条約だ。
核兵器の抑止力は「相互確証破壊」の仮説に基づく。「相互確証破壊」とは、どちらか一方の国が核攻撃を受けた場合、必ず相手国も壊滅的な核攻撃で報復するという状態。核兵器を使用すれば敵方に壊滅的な打撃を与えるが、必ず同水準の報復を受けて自陣営も壊滅的な打撃を受ける。したがって、自陣営の壊滅的な打撃を覚悟せずに核攻撃はできない。この「恐怖の均衡」によって、互いに先制攻撃が思いとどまらされることになるとの考え方。核兵器の保有は限定され、核保有国は「相互確証破壊」のロジックから核兵器使用を行わない。このことによって核戦争のリスクを排除しようとするもの。
NPTは、1967年1月1日までに核兵器を製造・爆発させた国を「核兵器国」と定義し、それ以外の国への核兵器の拡散を禁止するもの。これは、NPTが1968年に発足時加盟国に調印されたことによっている。だが、既述のとおり、NPTは戦勝5ヵ国だけに核兵器の独占保有を認める条約であり、明確な不平等条約である。
核保有国である戦勝5ヵ国=P5はNPT体制を是認する。日本は米国の支配下に置かれているから米国が主張するNPT体制に賛成させられている。しかし、世界にはP5以外に核兵器を保有する国がある。インド、パキスタン、イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)などだ。これら4ヵ国はNPTに加盟していない。朝鮮は1993年にNPTから脱退した。核兵器を持てば軍事的には絶対的な優位を保つことができる。このために軍事力の優位を求める国は核保有を指向する。
日本は世界唯一の被爆国。原発以上に悪質な殺りく兵器は存在しない。当然のことながら核廃絶が何よりも求められる。しかし、軍事的優位をもたらす核兵器を核保有国が本当に手放すだろうか。ここに問題の本質がある。
NPTは核保有をP5に限定するもの。P5は核兵器の独占保有によって軍事的優位を永遠の特権として保持しようとしている。しかし、この不平等条約に対抗する国が出現する。インド、パキスタン、朝鮮。これらの国はNPT非加盟国で核兵器を保持している。
イスラエルが核保有国であることは公然の秘密。核開発の疑惑が持たれているのがイランとシリアなど。米国はイランの核開発疑惑を強く非難するがイスラエルの核保有を放置している。一言で表現してデタラメなのだ。
こうしたなかで南アフリカはかつて核保有国だったがNPTに加盟して核を廃棄した。国政が転換して核政策も転換された。国連では核兵器禁止条約が決議され、多数の国が批准している。これが世界の新たな流れだが、すでに核を保有している国が足並みを揃えて核廃絶に進む可能性があるのか。
核兵器がなくならないのであるなら、核兵器保有が「相互確証破壊」のロジックによって核戦争を回避する最重要の方策ということになる。単純に回答を示すことができる問題ではないけれども。理想を示すなら答えは明白。核を廃絶するしかない。「核を使う」立場で論じられるが、最重要であるのは「核を使われる立場」の見解。
核兵器以上に非人道的な兵器はない。その核兵器を廃絶できないことは人間の愚かさを示すもの。高邁な精神をいくら謳っていても愚かな行動しか示せないなら、人間というものはそれだけの存在でしかない。愚かな道を歩み、やがて滅亡に至るしかない。その滅亡とは文字通り地球の滅亡だ。
手塚治虫の「火の鳥」では愚かな人間が地球を亡ぼすが、地球に新たに生命体のかけらが出現する。そして改めて生物が繁殖するが、結局は滅亡を繰り返す。人間の「叡智」という言葉が用いられるが、人間に本当に「叡智」があるのか。
核を廃絶するにはP5が話し合い、核廃絶を決めるしかない。P5が核廃絶を実行するなら、インド、パキスタン、朝鮮、イスラエルの核廃絶を誘導することは可能になるかも知れない。しかし、敵方が核を廃絶して、自陣営が核廃絶を行わなければ、自陣営が圧倒的優位に立つ。相手方が抜け駆けをしないかどうか、疑心暗鬼が生じるなかで、本当に核廃絶が可能になるのか。問われるのはP5の身の振り方。
日本政府は核廃絶はないとの前提に立ち、そうであるなら核保有による「抑止力」に期待するしかないとの立場を示す。米国が核兵器を保有し、米国と軍事同盟を締結することにより「抑止力」による核戦争回避を目指すということになる。世界で唯一の被爆国である日本の行動として、これが正しいのかという議論が生じる。
問われているのは人間の叡智と愚かさ。人間に叡智があるとの前提に立つなら、核廃絶=核兵器禁止条約をP5を含めたすべての国家に求め、その実現を目指すということになる。逆に人間は愚かであるとの前提に立つなら、愚かな核兵器容認、さらに核保兵器保有指向に堕すことになる。
日本政府の立場は後者。愚かな人間は核兵器を手放さない。核兵器を保有することによって安心感を得る方向に突き進む。しかし、「相互確証破壊」による核戦争抑止は絶対ではない。「相互破壊」を「確証」して、核兵器使用に突き進む者が出現しないとは言い切れないのだ。そのとき、地球は滅亡する可能性が高い。
「人類最後の日」を想定して残り時間を概念的に示す「終末時計」の2025年版の時刻は「残り89秒」。終末時計の残り時間は米国の著名な科学者らで構成する「科学安全保障委員会(SASB)」が中心になり、直近約1年のさまざまな国際情勢を分析、リスク評価して決める。単なる一つの仮想データに過ぎないが、核戦争が発生すれば地球は終末を迎えるから、核兵器が放置される現状では「一瞬先は闇」である。
これを知りながら、核兵器廃絶を論議して決めることもできない。子どもに説教する大人は多いが、大人自体が愚かな図式から抜けられていない。あらゆる主義主張、高邁な理論も空しく響く。核廃絶は容易でないだろうが、誰かが主導しない限り、実現する可能性はゼロということになる。
確率は低いがトライしないことには何も始まらない。その運動の先頭に立つべき国は日本である。その日本が米国の顔色を窺って何も言えないことは恥ずかしいこと。まずは宣言すること。核廃絶を米国に対しても正面から意見具申する。これが日本の取るべき立場である。
<プロフィール>
植草一秀(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)代表取締役、ガーベラの風(オールジャパン平和と共生)運営委員。事実無根の冤罪事案による人物破壊工作にひるむことなく言論活動を継続。経済金融情勢分析情報誌刊行の傍ら「誰もが笑顔で生きてゆける社会」を実現する『ガーベラ革命』を提唱。人気政治ブログ&メルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。1998年日本経済新聞社アナリストランキング・エコノミスト部門第1位。2002年度第23回石橋湛山賞(『現代日本経済政策論』岩波書店)受賞。著書多数。
HP:https://uekusa-tri.co.jp
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