2024年12月22日( 日 )

福岡地所・榎本一族の「最大の資産」は受け継がれる独立独歩の精神(1)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ
地元金融機関の経営トップとして福岡経済の発展に貢献した四島一二三氏。その波乱万丈の人生のなかで磨かれた独立独歩の精神は子孫に受けつがれ、福岡の地場デベロッパーを代表する福岡地所(株)の経営者一族のなかに見ることができる。

 

大志を抱き単身渡米

 1991年から92年にかけて竣工した集合住宅「ネクサスワールド」(東区)、92年7月竣工のコンドミニアム「ザ・レジデンシャルスイート・福岡」(早良区)、96年4月に開業した複合商業施設「キャナルシティ博多」(博多区)、2000年10月開業の九州最大級アウトレットモール「マリノアシティ福岡」(西区)、天神再開発の第1号案件「天神ビジネスセンター(中央区、2020年竣工予定)など、福岡市の都市としての魅力化に大きく貢献している福岡地所(株)。その経営者一族である「榎本家」には、福岡相互銀行の実質的創業者である四島一二三氏の独立独歩の精神が受け継がれている。

 家系の流れをいうと、一二三氏の実子(次男)が福岡相互銀行頭取を務めた四島司氏。一二三氏の長女で、司氏の姉にあたる和子氏が榎本家に嫁ぎ、その長男が福岡地所(株)を興した榎本一彦氏。一彦氏の長男が同社の現代表取締役社長・榎本一郎氏となる。

 四島一二三氏は、1881(明治14)年生まれ。現在の久留米市北野町に位置する金島村で7〜8人の小作人を使う中農の父・久五郎と母・ミエの三男。「一二三」はのちの改名で、幼名は「市次」。高等小学校を卒業後、1897年10月、立身の志を抱いて渡米した。

 海をわたって5年間、農園での過酷な労働のなかで必死に働き続けた一二三氏は、その才を見出され、22歳で農園の経営責任者に抜擢される。1909年11月、日用雑貨や食料品の販売のほか、労働力供給業を行う会社「四島商会」を設立。排日気運が高まるなか、法によって土地所有を禁じられたアメリカから蓄財を朝鮮へ移し、1918(大正7)年10月、38歳で帰郷。1920年2月、40歳で28歳の豊福カツミ氏と結婚し、福岡市に居を構えた。

 翌年、長女・和子氏が誕生。アメリカでの蓄えと朝鮮の農園からの収入もあり、悠々自適の生活を送っていたが、借家の家主が、福岡相互銀行の前身となる福岡無尽の代表発起人・廣辻信次郎氏であったという奇縁から、福岡無尽(株)の設立に参加した。

 ちなみに、福岡無尽の設立事務所があった場所は、中洲中島町44(1924年1月に私邸から移転)。同地は4代目・太田清蔵氏が1896(明治29)年に創業した(株)福岡貯蓄銀行(1916年12年に第十七国立銀行に吸収合併。45年3月に解散合併し、(株)福岡銀行となる)発祥の地であり、元はその本店が置かれた建物であった。

 1924年6月、福岡無尽(株)設立。同年9月、最大株主の1人であった一二三氏は専務取締役に就任。初代社長・廣辻氏の急逝により、実質トップとして経営手腕を発揮した(社長就任は、1936(昭和11)年)。

(つづく)

【山下 康太】

 
(2)

関連キーワード

関連記事