福岡地所・榎本一族の「最大の資産」は受け継がれる独立独歩の精神(3)
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殻を破る
一二三氏が「お客さま行脚」を始めた翌51年、2代目・四島司氏が福岡相互銀行に入行した。司氏は、トップの一二三氏に遠慮して意見具申を行わない社員が多いことを危惧。個人商店からの脱皮が必要と感じたという。司氏が福岡に戻った51年、6月に相互銀行法が公布施行され、全国に70社あった無尽会社のうち58社が同年10月に相互銀行に移行した。福岡無尽も10月20日、(株)福岡相互銀行と商号を変え新たなスタートを切った。
司氏が取締役(業務部長)に就任したのは56年、31歳の時。社会は戦後復興から高度経済成長期へと移っていた。入行以来、司氏は一二三氏の旧弊を壊す「クーデター」を断行。52年から大卒の定期採用を本格的に始め、寮や銀行としては九州初となる研修施設を整備した。
優秀な若手を業務部に集め、企画力や営業力を強化するとともに給与改革も進めた。歩合制だった外務員の給与を固定制(契約年俸制)へと変更。年配の外務員には役員報酬よりも高い給与をもらう者もいたが、若手のヤル気を引き出すために大なたを振るった。同行創立30周年の54年の時点で資金量は全国相互銀行中第6位まで上昇していた。
67年、司氏は専務に就任。この年3月1日、福岡証券取引所に上場。当時、新進気鋭の建築家であった磯崎新氏を抜擢し、彼の設計による大分支店が開店。69年、一二三氏(89歳)が会長に、司氏(44歳)が社長に就任した。翌年(70年)、磯崎新氏設計の新本店が、まだ閑散としていた博多駅前に着工。最新のオンラインシステム中枢を導入し、71年にオープンした。
時には衝突もしたが、一二三氏は、司氏が打ち出す斬新な経営戦略に対して、結果的にはそれを認めて後押ししていた。「興産一万人」。一二三氏は、自分自身と同様に、強い意志と行動力で夢を実現していこうとする者にチャンスを与えてきた。
その姿勢は、司氏にも受け継がれていた。司氏は、地場中堅企業の若手経営者のための勉強会を開き、そこから、ロイヤルホールディングスの江頭匡一氏、三井ハイテックの三井孝昭氏、ゼンリンの大迫忍氏が巣立った。計算高いバンカーというよりも事業を育てるインキュベーターに近い。教育者として福岡経済の後進を指導した司氏が、経営者に向けたメッセージは自ら体現してきた「殻を破れ」である。
四島司氏は、15年2月23日、死去した。享年90歳。
(つづく)
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