井筒屋が3店舗閉鎖~厳しさ増すデパート業界(3)
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~呉服商から百貨店へ~ 【表1】を見ていただきたい。
百貨店の設立母体に呉服店が多いのがわかる。江戸時代から呉服商は地域経済のなかで大きな存在だった。しかし明治維新後、急速に西洋化が進み洋服が普及。呉服だけではなく、百貨店として生きていくことが求められる時代となった。<この表から見えるもの>
◆都会では伊勢谷丹治呉服店が1886年(明治19年)11月5日に伊勢丹(東京都新宿区)を開業。その後、三越、松坂屋、高島屋、大丸が設立され開業していくと、その流れは次第に地方にも波及していった。
◆九州で最初に百貨店を設立したのは山形屋(鹿児島市)で、1917年(大正6年)6月15日。神戸以西における百貨店第1号だった。大正時代初期に近代的なデパート建築を九州で施工したのは清水組(現・清水建設)だった。
・次が佐賀玉屋で1930年(昭和5年)12月3日に設立された。母体は田中丸呉服店。
◆福岡県で1番早かったのは食品販売会社の山城屋が、1934年(昭和9年)12月に門司市(現・北九州市門司区)に設立した山城屋(百貨店)。
その年1月29日、官営八幡製鐡所を中心に複数の製鉄業者が合同して発足した日本製鐵株式會社(八幡市)の創立総会が開かれ、1所(八幡製鐡所)5社(輪西製鐡・釜石鉱山・三菱製鐡・九州製鋼・富士製鋼)の統合により日本製鐵株式會社(日鉄)が発足。
・その翌年の1935年(昭和10年)5月8日に岩田屋(福岡市)、7月30日に井筒屋(小倉市)が設立された。小倉玉屋(小倉市)の開業はその2年後の1937年(昭和12年)4月14日だった。
◆門司市、小倉市に複数の百貨店が設立されたのは北部九州が当時九州の表玄関であったことを示している。1930年代に設立されたこの3つの百貨店は、まさに3つ巴の戦いを続けることになる。支店増設で業容拡大に走った井筒屋は、オイルショックがピークに達した1980年以降、経営が悪化した店を次々と閉鎖していった。2000年7月12日、そごうが民事再生法を申請したが、小倉そごうと黒崎そごうは認められず破産に追い込まれ、12月25日に閉店。残った山城屋、福岡玉屋も経営悪化により2001年、2002年に閉店に追い込まれた。生き残ったのは井筒屋だけとなっていたが、その井筒屋も先月末、ついに3店舗閉鎖を打ち出し本店と山口井筒屋山口店の2店に縮小することになった。山口店を残したのはメインを傘下にもつ山口FGへの配慮と見られる。
◆時代の流行をリードする華やかさを誇った百貨店の売り場から、家電、家具、紳士服、おもちゃ、衣料、書籍などの部門が次々と抜けていき、百貨店ではなく高級衣料・雑貨を中心とする『五十貨店』、いや『四十貨店』となっている。しかもIT時代が到来し、若い世代や中間層はネットで買い物をするようになり、百貨店を利用する客足が戻らない状況が続くようになったのだ。
◆そのため大丸と松坂屋HDが2007年9月3日に経営統合しJ.フロント リテイリング(株)を設立し、それぞれの店舗はその傘下に入った。その翌年の4月1日付で伊勢丹と三越が経営統合し、三越伊勢丹HDを設立する状況に変化していった。
◆単独で生きているのは高島屋(20店舗)だけとなっている。百貨店はインバウンド(外国人の爆買い向け)の免税売り上げや富裕層向けの外商事業に力を入れているが、売上は年々減少し経営も悪化していることから、高島屋は当面、孤高の存在を貫くことになりそうだ。(つづく)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】
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