2024年11月27日( 水 )

東京に進出して35年-広い海には大きなチャンスがある~手島建築設計事務所(1)

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裕福になれたバブル時代、役所の仕事をする人はいなかった

代表取締役会長 手島 博士 氏

 (株)手島建築設計事務所が東京に進出したのは、まさにバブル期の1984年のことだった。世の中は好景気で、街には次々とビルやマンションが建っていた。

 「国や東京都の公共施設を設計する人がいなくて困っているから、東京にきて仕事をしないか」と声をかけられたことが代表取締役会長・手島博士氏が東京で仕事を始めたきっかけだった。

 当時の日本はバブル景気に沸いており、福岡も東京も建設業界はとても忙しかった。仕事がたくさんある時代だったから、ほとんどの設計事務所は民間の建物を手がけていた。時流にのって数多くの巨大ビルやマンションをつくり、成功して東京の一等地にオフィスを構えていた設計事務所もたくさんあった。

 利益が大きい民間の建物を手がけてさえいれば、裕福になれる時代だった。公共施設をつくる行政の仕事は、民間のビルやマンションをつくる仕事にくらべて利益も薄く、設計時の決まりごとが多く、手間もかかるため、当時はほとんどする人がいなかったという。

大きな建物も小さな建物もよろこんで手がけた

 東京に出てくる前、福岡の事務所で仕事していたとき、いっとき体調を崩したことがあったという。何とか一命を取り留めた際、手島会長は「人生には終わりがあるものだ。命があってこその人生だから、生きているうちにしておけばよかったと人生の最後に感じることがないようにやりたいことをして生きよう」と心から感じたため、東京で仕事を始めることを決意したという。

 東京は、国や東京都の仕事をはじめ、23区の各地区それぞれにも公共施設があるため、行政関係の設計の仕事がとても多い。

 公共施設をつくる仕事は、設計事務所として実績をつくるチャンスだと考えて、大きな建物でも小さな建物でもよろこんで設計の仕事をしたという。手島建築設計事務所は、現在までに数多くの都営の高層住宅や学校、福祉センターなどの公共施設を手がけている。

 ほとんどの設計事務所が民間のビルやマンションを設計して羽振りがよかったバブルの時代、利益が薄く手がける人がいない公共施設の仕事に取り組んだ手島会長の姿勢はほかにないものだった。仕事を依頼した行政の担当者もありがたく感じていたに違いない。

バブルが崩壊して、民間ビルやマンションの需要が落ち込む

 バブル期は、次々と新しい建物がつくられて活気があった建設業界も、バブル崩壊とともにオフィスビルやマンション、店舗などの民間からのニーズが大きく落ちこんだ。

 今まで民間の建物を数多く設計していて羽振りがよかった設計事務所は仕事が減り、誰もが経営しやすかった時代は終わりを告げた。そして、これまで民間のビルやマンションをつくっていた設計事務所も、公共施設をつくる役所の仕事を手がけはじめた。

 多くの事務所が公共施設の仕事を手がけるようになったため、受注するための競争倍率も上がり、いまでは国や東京都から仕事をもらうのは簡単ではないという。

 それでも、手島建築設計事務所は、公共施設を設計する事業をいまも順調に伸ばし続けている。バブルで景気がいいときから時代に流されず、目先の利益を追わずに行政の仕事を手がけ、着実に積み重ねてきた実績が、いまにつながっているのではないだろうか。

広い海は、大きな魚が釣れるチャンスがある

 東京は、たくさんの人が集まっている街だ。多くの人が暮らす街には、住むところや仕事をするところ、買い物をするところなど生活の場面に合わせてさまざまな建物がつくられている。ビルやマンションの建物数が多いだけでなく、たくさんの人が使う大規模建築物もつくられる。大都市では建物をつくるニーズが多いぶん、設計の仕事のチャンスも増えると手島会長は感じてきた。

 たとえば、池で釣りをしても、それほど大きな魚は釣れないかもしれないが、広い太平洋に船を出して釣りをすると、身の丈ほどもある大きなマグロが釣れる。

 仕事も釣りと同じで大都市では大きなチャンスがあるため、努力した分、仕事のスケールも広がる。手島会長は、いままでチャンスが少なかったスケールが大きい国の仕事も東京に出てきてから手がけられるようになったという。

 生まれ育った街を出て大都市で戦うのは、とても勇気がいることだ。しかし、多くの人々とつきあうなかで、華やかな街の本質もみえてきた。東京は地方を出てきた人が集まっている街だとわかってからは、本気になれば勝負ができるという前向きな気持ちが強くなったと手島会長は話す。

 東京は地方を出てきた人が集まっている街であるがゆえに、社会のコミュニティや人と人とのつながりがドライで、他人に干渉しない街だといえる。よくも悪くも、人間関係よりも実力主義なので、仕事で成果を上げたら、次々に新しい仕事に取り組めることも東京の魅力だという。実績を積み重ねて、長年の夢だった超高層建物の設計に携わりたいと当時から手島会長は思い描いていた。

(つづく)
【取材・文・構成:石井 ゆかり】

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