【追悼文】樋口産業・福岡建材の設立者 樋口徳一氏逝去
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国内トップクラスのリサイクルプラントを有する骨材製造・産業廃棄物処理業者として業績を伸展させてきた樋口産業の設立者・樋口徳一氏が闘病生活の末、6月9日、78歳で逝去された(1941年1月9日生まれ。福岡市西区金武)。
故人の最大の功績は建築資材の再生事業に先鞭をつけたことである。骨材再生、再生生コン、産業廃棄物再生と多岐にわたる事業のパイオニアであった。この功績に対して国から幾多もの表彰を受けている。同社は、故人の実父・樋口徳雄氏が1948年に創業した。事業の当初は室見川の川砂利を採取・販売していた。故人・徳一氏は1971年5月に事業を継承して75年に樋口産業に法人化した。砂の販売の主体は海砂に転換されて博多海砂販売協同組合を通じて最大の取り扱いを行ってきた。
故人は常に「地球資源の収奪事業では永続化できない。何か方策はないか」と真剣に検討していた。福岡大学工学部とも永年、共同開発を行ってきた。
記者が故人と知り合ったのは1979年の秋だったと記憶している。第一印象は「非常に慎重な方であるが、社会に迷惑を与えるような商売は絶対にしないという堅い信念の持ち主」ということだ。当時、業界ビジネスの主流は「海から採取してきた海砂、山から発掘してきた砂・砕石を売って儲ければ良い。自然破壊には無頓着」というものだった。
1978年、同社に転機が訪れた。福岡市の地下鉄工事によって大量に排出され始めた「建設発生土」と「コンクリート塊」を受け入れたことをきっかけに建設リサイクル業に乗り出したのだ。
建設リサイクル業に進出後、冒頭に記述した福岡大学工学部との共同研究・開発で建設発生土をリサイクルした「再生砂」や廃棄コンクリート塊から「再生砕石」を生み出すなど数々のリサイクル化に成功している。記者は同社が新商品を開発するたびに馳せ参じたものである。
建設残土洗浄再生プラントの拠点を博多区千代に構えたのは1984年のことだった。この再生処理場への投資総額は100億円に迫るものと思われる。このように故人は大胆な決断力とたしかな先見性をもちあわせた有能な経営者だった。
現在、樋口産業は産業系廃棄物を年間50万トン、建設発生土40万トンを受け入れるなど、高い再生率を誇っている。
樋口徳一氏は「地球環境を守り、資源を有効利用するために資源再生事業に命をかけたビジネス人生を貫いた」。この姿勢に心から尊敬の念を表し、追悼の意を表したい。
事業継続は樋口慶德社長を筆頭に幹部社員、全社員の結束で十分だ。安らかにお眠りください。
合掌
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