波乱を乗り越えて3期目へ 小川県政「令和時代の福岡」を語る(3)
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福岡県知事 小川 洋 氏
「平成」回顧と「令和」展望
――新元号が太宰府市ゆかりの「令和」に決まりました。平成年間の福岡県政を振り返っていただくとともに、令和時代の福岡県政で実現を目指す理念などをお聞かせいただけますか。
小川 「平成」の30年間、日本は、戦争のない平和な時代を享受することができました。
一方で、バブル経済とその崩壊、長引く景気の低迷、リーマン・ショックなどの大きな経済情勢の変動、また、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震といった自然災害にも相次いで見舞われました。
また、ICT(情報通信技術)の発達、デジタル化の波は、我々の想像を超えて進み、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結したことも相まって、人・モノ・情報が国境を越えて自由に移動し、あらゆる分野で世界との結びつきが強くなるなど、グローバル化が急速に進展しました。これらは、少子・高齢化が進む地域社会に大きな影響を与えています。
こうした激動の時代、変革の時代にあって、福岡県としても、これらの時代の変化に迅速かつ的確に対応していくことが求められた30年間であったと考えています。
新元号の「令和」は、「人々が美しく心を寄せ合うなかで、文化が生まれ育つ」という意味があり、「1人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」そうした日本でありたい、との願いが込められています。
新しい「令和」という時代が、県民の皆さまお1人お1人にとって、住み慣れたところで「働く」「暮らす」「育てる」ことができ、希望に満ちた「平和な時代」となるよう全力をあげていきます。
「県民第一」「県民の声を大切に」「県民のために」、スピード感をもって政策を進め、引き続き「県民幸福度日本一」の福岡県を目指します。
そして、日本海側に位置しているこの福岡県を、アジアとともに発展する一大拠点にしていくことによって、九州を牽引し、この国のバランスのとれた発展に貢献していきます。
――小川知事ご自身にとっての平成年間はどのような時代だったのでしょうか。通産官僚としてシビアな交渉も数多く経験されてきたかと思います。心に残るエピソードなども交えながら、少し振り返っていただけますか。
小川 2011年4月に知事に就任するまで、私は、通商産業省(現・経済産業省)および内閣官房で30数年働きました。そのなかで、いろいろな経験をしてきました。
平成を振り返りますと、1994年に制定されたPL法(プロダクト・ライアビリティ法:製造物責任法)の企画立案から制定まで、消費者問題の担当課長として力を注いだことがまず1つです。これは、製造物の欠陥によって怪我や損害が生じた場合の製造者・メーカーなどの賠償責任について定めた法律です。当時、欧米並みに消費者を強く保護するための法律を早くつくるべきだという消費者団体と、訴訟が著しく増えると産業の発展を阻害するという産業団体との間に際立った意見の違いがあり、国論は完全に二分されていました。
さらに、日本もアメリカのような訴訟社会になるのではないかという危惧を抱いている人も多かったのです。私は、非常に悩み、海外調査も行い、勉強もし、考えに考えました。戦後からそれまでのすべての判決を整理、分析し、法律をつくろうと決断しました。そして、賛成・反対両側を説得して回り、課長となってから3年目に法律が成立しました。この法律により、企業の姿勢も変わり、消費者とのトラブルも減ったと評価され消費者団体の人たちからは「ミスターPL法」と言われました。
そして、95年の鉄鋼の担当課長の時、阪神・淡路大震災が起こりました。岡山まで飛行機、それからJR、車、徒歩で神戸市内に入り、鉄鋼メーカーの(株)神戸製鋼の神戸製鉄所で、がれきのなか、夜、顔を真っ黒にして黙々と復旧作業をされている人たちを見て、私はこの「日本のものづくり」をこれから先、何としても守っていこうと心に誓いました。その思いは今の私の原点の1つとなっていますし、当時の光景を思い出すと今でも胸が熱くなります。
(つづく)
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