「プロ経営者」原田泳幸氏は復活できるか~マクドナルドOBとタッグを組みタピオカ飲料チェーンのトップに(後)
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ゴンチャをスターバックス版のお茶にするのが仕事
それでは、原田氏はなぜゴンチャの日本法人と、ゴンチャグループの幹部に招かれたのか。
原田氏は「プロ経営者」と呼ばれているが、自身は「プロ経営者」ではないと否定。経営のプロはたくさんいる。自分は「一番熱心な雇われ社長」だと規定する。
ゴンチャでの「熱心な雇われ社長」の仕事は何か。
ゴンチャを、お茶におけるスターバックスのポジションにすることだ。1971年、米シアトルで創業したスターバックスは、今や、世界に店舗数が2.2万店を超える巨大コーヒーチェーンとなった。
ゴンチャを買収したTAアソシエイツは、世界的にはティー市場が、10兆円規模のコーヒー市場よりも大きくなると読んでいる。台湾ティーカフェ「ゴンチャ」をスターバックスのティー版に育てる。その仕事を、マクドナルドOBの2人に託したのである。
原田氏が最も得意とする手法は直販化
原田氏は大学卒業後、外資系一筋だ。4回目の転職先はアップルコンピュータ・ジャパン(当時)である。1990年、42歳でマーケティング部長として入社した。ビジネスマーケット事業部長、取締役マーケッティング本部長と昇進を重ね、96年には米国法人に勤務して、世界市場を相手にマーケティングを担当した。97年、日本法人のアップルコンピュータ社長と米国本社の副社長を兼務した。時に49歳であった。
日本法人の社長としての実績は、直販化の推進である。40社強あった一次卸を4社に絞り、3000店あった販売店を100店に削る荒療治をやってのけた。天才的起業家として神話的存在となったスティーブ・ジョブス氏が暫定CEOとして米アップルに復帰。98年にiMac(アイマック)を発売するタイミングに合わせて、原田氏は日本市場で、この荒療治を実行した。
原田氏が経営者として最も輝き、自身が誇りにしているのが、アップルコンピュータの日本法人の社長時代だ。
アップルジャパンでの剛腕を買われ、米マクドナルド本社にヘッドハンティングされ、2004年、日本マクドナルドホールディングスのCEO(最高経営責任者)に就いた。アップルの主力商品マッキントッシュとマクドナルドの愛称がともにマックだったことから「マックからマックへ華麗な転身」と話題になった。
原田氏が外資系で磨いてきたマーケティングで、最も得意としたのが代理店戦略だ。代理店を解体し、直販化を推進することだ。原田氏は十八番の代理店戦略を引っ提げてマクドナルドに切り込んだ。
壮絶なバトルの結果、原田氏が”抵抗勢力”と見なしていたフランチャズ店を大規模閉店するという大ナタを振るい、一気に淘汰した。
経営トップとしての10年間の取り組みについて問われた原田氏は「構造改革に尽きる」と語った。これは代理店システムを解体したことを意味する。
その後のマクドナルドの経営と、ベネッセホールディングスでの経営は、代理店戦略が封印されたため不満が残った。
原田氏がゴンチャグループの経営幹部と日本法人のトップを引き受けた理由ははっきりしている。アップルコンピュータでは、グローバルな店舗展開の指揮を執り、日本法人の直販化を推進した。栄光のアップルコンピュータの再現に奮い立っていることは間違いない。
だが、原田氏は齢70歳を超えた。「プロ経営者」のウォッチャーとしては、「年寄りの冷や水」にならないことを切に祈るばかりだ。
(了)
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