2024年11月25日( 月 )

【シリーズ】生と死の境目における覚悟~第1章・誰もが死を免れない

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1:子どもは時間をかけて成長するのが必然

 初孫と対面する。1年間は非常に長く感じた。初めての体験は刺激的で、ドラマチックだからだろう。2人、3人目ともなると慣れてきて、成長を見守っていると1年間が一瞬のうちに過ぎてしまう。

 現在、3人目の孫は5カ月になる。3カ月を迎えるころにはベッドのなかで「この世界はいったい、どうなっているのか」と興味をもち、四方八方を眺めようと必死で努力する。4カ月目、首が座ってくるころには寝返りを始める。

 寝返りは左右の腕力が強い方向から行う。うつ伏せの状態になると、泣きながら「起こしてくれ!!」と訴える。寝返りの悪戦苦闘の過程で、次第に腕力がつき、足で踏ん張る力が養成され、次の「はいはい」の段階へとつながっていく。そして、さらに自力で立つ段階に成長が進む。

 種・ホモサピエンス(人)は親の援助なく、大人になるための研鑚を積んでいく。頭脳の発達も同時に進行し、7歳前後で人として一人前の機能をもつようになる。

2:老化・死に至る道程は時間がかかる

 子どもの成長には時間を要する。同様に「老化・死に至る」道程にも時間がかかる。

 子どもの成長と比較すると、老化のスピードはゆったりとしている。生きることは、すなわち「死から逃避することはできない」という厳しい現実でもある。「30歳あたりから老化が始まり出す」と指摘されているが、鮮明に自覚するようになるのは50歳を境にしてではないだろうか。そしてある日、老化が一気に襲ってくる。

 最近、寂しい場面にしばしば直面する。ゴルフ仲間でもある友人がプレー不能になるのである。友人は「ゴルフができなくなって悔しい」と泣く。自宅に閉じこもる生活になってしまった友人は、テレビでプロゴルフを観戦するのが唯一の楽しみになってしまう。

 男性の場合、「いかに78才を元気にパスできるかが、長生きの分岐点」であると確信し、実際にそれを体験している。ゴルフができなくなってしまうという、先ほどのような例をこの数年、数多く目撃してきた。フルスイングをして腰に激痛が走り、ゴルフを断念した友人もいる。やはり、ゴルフのプレーにおいては徒歩に徹することをお奨めする。

 身内が脳梗塞で意識不明に陥って、すでに7カ月になる。気の毒だが、家族内でも厳しい選択をする時期が迫っている。このケースも78歳での発症だ。

 残念なのは最近のことである。すばらしい経営者が癌で亡くなった。やはり78歳だった。癌の判明から8カ月で急逝された。「あんな慎重な方が、どうして健康診断を怠ったのであろうか!」と悔やんでいる。どうであれ男性は「78歳」というハードルを勢いよくクリアすれば、元気な状態で85歳までは到達できる。女性の場合、老後の結末に接触したことがないので意見・提案は不可能である。

3:再起できるかどうかは情報収集する努力とネットワーク力

 多少、本題と外れているが、「もう駄目だろう」とあきらめられていた人が元気に蘇生された例がある。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長・森喜朗氏が「不死身」の典型だろう。再起のポイントは情報収集をする努力と、絶大な信用がある医者との接点、そして、自己資金力である。

4:本人が人生の「最終ゴール」を描く覚悟、しかし現実はままならない

 本人が人生の最終ゴールを明確に設定しているのであれば、幸せだが、現実は設定どおりにはいかない。

 (1)「卓美さん(仮名)は風呂場で亡くなっていたそうだ。惜しい人だったが、家族にとってはありがたかったろう」という『ピンピンコロリ』な死に方への憧れの念は強い。しかし、長期にわたって寝たきり生活を余儀なくされることもあり得る。こうなると卓美さん本人も悔しくて悔しくてたまらないだろう。意識がしっかりしているのだから…。

 (2)80歳を超えて死に至るパターンは、癌の全身転移からの肺炎が死因になるケース、認知症から体力が衰弱し、死に至る例、脳梗塞などで意識不明のまま安楽死を決断するケースなど様々である。最終ゴールを描いてもままならないのが現実なのだ。現在、幸福な成仏を迎えるとみられているのが、老人ホームを終の棲家として「6~10年、仲間と暮らして亡くなる」というパターンである。

 葬儀の最前線では親の遺体を火葬している間、家族が逃亡するという驚くべき悲惨な事例を耳にすることもあり、「一体、家族の絆とは何か!!」という課題を突きつけられる。

 一方、本連載では親の介護に尽くしてきたドラマ(事実)をレポートする。まともな感覚の持ち主なら、思わず涙を流すことだろう。「あぁ、日本にはまだまだ、すばらしい家族関係が残っているのだ」と感動するはずだ。

 死を目前にして当事者・本人の人生そのものが問われる。「俺は、私は、伴侶、子どもたちと、どのような関係を築いてきたのだろうか!」と過去を振り返りながら、疑心暗鬼になるだろう。「いや、家族の関係性が問題ではなく、自己中心主義=世相が己を『犬畜生』扱いで、あの世に送り出すのである」と自身で納得するしかないのか。

 本シリーズでは「生と死」の狭間で、人々はいかなる覚悟で立ち向かえるかを考えてもらいたい。ぜひ、ご愛読ください。

(つづく)

※介護経験のある方は、ぜひご意見・ご感想をお寄せください。
hensyu@data-max.co.jp

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