【検証:熊本】市役所移転・建替えに揺れる熊本市(前)
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■「震災復興スローガン」でかき消された規模縮小論
熊本地震の被災地、熊本市が相次ぐ“ハコモノ建設”の是非で揺れ始めた。16年4月の被災後、MICE施設、市民病院に続き、市役所の移転、建替えも浮上。合わせると、市の投資額は1,000億円を上回る。
熊本地震から10カ月足らずの17年2月1日。熊本市中央区桜町の熊本交通センター跡地で大西一史市長や格安旅行会社HISグループの澤田秀雄代表ら140人ほどが集まって、総額755億円を投じる桜町地区第一種市街地再開事業の起工式があった。
再開発ビルは地上15階・地下1階建て。高さ73m。延床面積15万9600m2。このうち3万4000m2は市が買い取るMICE施設「熊本城ホール」。3,000人規模の会議も開ける。ただ事業費が303億円に上るため規模縮小論も根強かった。
熊本市は12年4月、九州で3番目の政令指定都市に昇格。当時の幸山政史市長は「政令市に相応しい施設」を望んだ。跡を継いだ大西氏も路線を踏襲。さらに熊本地震後の「震災復興スローガン」によって規模縮小論はかき消されていった。
再開発の事業主体は、HIS傘下の九州産業交通ホールディングスが主導する熊本桜町開発会社。熊本市は同社に補助金を支出し、同社が建てた再開発ビルの保留床を買い取って「熊本城ホール」とした。
再開発ビル完成までは既存建物に入居していたテナントなどへの営業補償でも、市は支援を惜しまなかった。結果、市の支出は総額400億円を突破。19年9月、熊本城ホールをはじめ熊本桜町バスターミナル、マンション、ホテルなどを併設する商業施設「サクラマチ クマモト」が盛大にオープンした。
■唐突すぎる?建替えありき、への疑念
一方、熊本地震では熊本市民病院が被災した。建物も老朽化していたため、別の場所に移転、新築し19年10月にオープン。新病院は地上7階建て。延床面積3万6000m2。建替え前より床面積が3000m2増えた半面、病床は168床減の388床、診療科目は3科減の31科目になった。総事業費は232億円。
旧市民病院跡地は売却する方針だが、桜町の再開発事業と市民病院再建に投じた費用はすでに600億円は下らない。
そこに持ち上がったのが、市役所本庁舎の建替えだった。市は18年6月、市議会の「公共施設マネジメント調査特別委員会」に対し「17年度に実施した現庁舎の耐震性能調査で耐震性能を満たしていないことがわかった」と報告。同年9月に開かれた同特別委では「17年度の耐震性能調査の結果はおおむね妥当」とする専門家4人の見解を付け、「建替えを前提に話を進めていく」と表明した。
熊本地震では、熊本城の損壊はマスコミの報道で広く知られた。しかし坪井川を挟んで城の南東にある市役所は傾くこともなく、大西氏が庁舎に陣取って復旧の指揮を執っていた。それが、耐震不足を理由にした突然の建替え表明。戸惑いが、市民はもとより、市職員や市議、市職員OBらにまで広がった。
同市は、大西氏の3代前の田尻靖幹市長の時代、市議の求めに応じて不要な土地を買い取るなどして財政が悪化。次の三角保之市長時代は厳しい財政再建を強いられた。当時、建設畑や財政畑で財源確保に知恵を絞った市職員OBは、桜町再開発事業着手から市の台所事情を注視していたという。
「桜町が終わったらひと休みと思っていた。17年度に耐震調査をしているのは知っていたが、現庁舎を設計した山下設計が調査していなかった。一番詳しい設計会社がどうして外れたのか。気になっていたが、調査が終わると、一気に建替え話が出てきた。現庁舎を建て替えるまでは10年以上議論した。あまりに唐突すぎる」
市の内部事情にも明るい職員OBは財政運営に不安を隠さない。
【重原 功】
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