【手記】「ダイヤモンド・プリンセス号」での隔離生活30日~新型コロナウイルス集団感染(前)
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新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」
2月5日、横浜港に停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス号」で10人の新型コロナウイルス感染者が確認された。厚労省は当初、ウイルス潜伏期間である約14日間の船内待機を決めた。しかし、検疫体制は定まらず、国内外から批判を浴びたことで方針が迷走。結局、約4000人の乗員乗客が30日間に渡って豪華クルーズ船内に「隔離」されることになった。
ダイヤモンド・プリンセス号は2004年に建造されたクルーズ船で、国内で建造された客船としては史上最大。総トン数は11万5875t、乗客定員は2,706人(乗員1,100人)という巨大なクルーズ船だ。乗客は、東南アジアをめぐる16日間の航海を終えて横浜港に帰港していた。旅行代金は約25万円から140万円まで。
今回、このダイヤモンド・プリンセス号に乗船していた男性がデータ・マックスに手記を寄せた。男性は福岡市在住の経営者(70代)。「船内でお世話になった乗員の方や、励ましてくれたすべての方に感謝を伝えたい」と話している。
■移動するトランクに違和感
我々が下船できないと知ったのは、2月4日の下船予定日当日だった。我々の旅行日程は、1月20日に横浜港を出港し、16日間の日程で東南アジア(鹿児島・香港・ベトナム・台湾・沖縄)をめぐり、2月4日に横浜港で下船するというものだった。
2月3日(下船予定日・前夜)
下船前夜の2月3日、予定通りトランクを夕食前(午後7時30分)にドアの前に出して置くようにとの案内があった。私たち夫婦はトランクをドアの前に出し、夕食レストランに向かった。レストランの光景はいつもの様子と何ら変わりはなかった。
夕食を終え、午後9時30分ごろに部屋に戻ると、廊下に出したはずのトランクが部屋の中に戻してあった。今までのクルーズではそのようなことはなく初めてのことだ。何かの間違いだろうと、再びドアの前にトランクを出し、最後の夜を14階のビュッフェで1時間ほど過ごした午後11時ごろに部屋に戻った。するとまた、トランクが部屋の中に入れてあった。「おかしい。何かあったのか?」と思いつつフロントに確認したが電話がつながらない。まあ、何らかのアナウンスがあるだろうと思っていた矢先、1通の手紙が船長名で部屋に届いた。
その内容は、「1月20日に横浜港から乗船し、1月25日に香港で下船した人が2月1日にコロナウイルスに感染していたことがわかった」というものであった。
この手紙には、我々の最大の関心事である「自分たちは今後どうなるのか」が記載されておらず、ただ感染者が出たという事実のみが記されていた。その日はそれ以上のアナウンスはなく、深夜を過ぎていたため就寝した。
2月4日下船当日
下船当日の朝が来た。船は予定より早く3日の午後に横浜港に到着していた。部屋にあるトランクの回収はないままだ。トランクの下船業務などを考慮すれば「1日くらいは下船が遅れるかも」と、この段階ではまだ悠長に構えていた。
その矢先、午前中にアナウンスがあった。「通知の通り、香港人乗客の感染が確認されました。厚労省の指導のもと全乗客に対し体温検査が行われるため4日の下船を見合わせます」という内容だ。この時、初めて今日は下船できないことがわかった。
その後、「今からフロアーごとに厚労省の検査が開始されます」というアナウンス。まだぼんやりとだが、「今日は下船できない」ことと「全員が検査される」ということがわかってきた。多少の不安はあったものの、これまで通りの行動習慣は変わらず、普段通り6階のレストランに昼食を食べに行った。
レストランはこれまでと何ら変わった様子はなく、食後も普段通りに共用スペースで過ごした。昼食から部屋に帰ると「問診票」が配布されていた。問診票は「37.5度以上の熱、だるさ、咳はないか?」。「最近中国武漢を訪問したことはないか?」などという質問内容であった。「問診票は個人ごとに記入し、各部屋に体温を計りにきた検査官に渡すように!」というアナウンスがあった。
あわせて、「37.5度以上で咳がある方、具合が悪い方は、これに関わらず船内医療センターへ通知するよう」という案内が追加された。「検査官はいつ来るんだろう?」この日は夜遅くまで検査官を待っていたが来なかった。いま振り返ってみれば、4日は予想に反して具合が悪い人が続出したのではなかろうか。それで計画通りの検査ができなかったのではないかと推測している。
この時点でも我々の情報は乏しく、2月5日か6日には下船できるものと楽観的に考えていた。
2月5日午前
午前8時30分、検査官2名が我々のドアの前に来た。部屋の中には入らず、ドア越しに問診票を見て書面上は異常ないことを確認。それから温度計を耳にあてて体温を測る。耳の温度を測るために検査官と我々の距離は手がとどく範囲になる。2人とも熱もなく異常がないと検査は終わった。検査官は隣の部屋へ移動した。
彼らは恐らく厚生労働省から派遣された保健所の職員かと想像した。彼らの服装は私服の上に白衣をはおり市販のマスクをした簡易的な服装であった。ゴーグルはしていなかった。
1人の耳の温度を測るたびに手持ちの消毒液で体温計の先を拭いていた。今から考えれば、あのような簡易的な服装では感染リスクが高く、その後、彼らのなかから感染者が出たのもわかる気がした。決して彼らを責めるわけではないが、2月4日、5日のあの時点では新型コロナウイルスについての認識が厚労省、保健所自体もまだ十分ではなく、検査官への適切な指導はなかったのではないか。
■突然の「隔離」宣言
2月5日午後
5日午後に船内アナウンスがあった。
「4日に検査した人のなかから10名の陽性反応が出たので、厚生労働省の指示により、これより 14日間の船内待機となる。」旨の説明だった。このアナウンス以降、乗客全員が「部屋を出ないこと。部屋で待機」となった。2月5日午後2時過ぎだった。
乗客の我々にとってはまったく予想外の方針変更だった。「熱も咳もなく、だるさもない。いたって健康なのに、これから2週間も部屋で拘束される」とは。
この発表にさまざまな思いと不安が交錯し、現実のものとは理解しがたい自分がいた。一方で、「長い人生、このようなこともあるか」「しかたない、ここは冷静に対処していこう」という「あきらめ+自然体」の自分もいた。何とも表現しがたい複雑な心境にあった。
旅行中、サウナやジャグジーで語りあった人たち、船内で出会った九州の人たち。「あの人たちはどうしているのだろう」。レストランで最高のサービスを提供してくれた乗員の顔も思い出した。自分たちだけではなく、世界中から集まった約4,000人が同じ運命共同体となってしまったのだ。
(つづく)
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