不法投棄の産廃業界を変える! 建設産廃で減量化・リサイクル化率98%(1)
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再開発や建替え工事が進む都心では、つくられると同時に現場で多くの産業廃棄物が発生している。私たちは「ゴミを捨てる」ことはあっても、捨てたゴミがどこに行くのかを見ることはほとんどない。しかし、捨てたゴミは消えず、必ず「処分」が必要になる。ゴミ問題を解決すると考えられている「リサイクル」が、なかなか広がらないのはなぜなのか。建設廃棄物の行方を、産業廃棄物中間処理業の石坂産業(株)専務取締役・石坂知子氏に聞いた。
かつて海洋投棄されていた産業廃棄物はいま
石坂産業(株)が創業したのは1967年、東京湾の夢の島(現・東京都江東区付近)の埋立地に産業廃棄物が海洋投棄されていた頃だ。今では法律が変わってできなくなったが、当時は海洋投棄が多く行われていた。
早朝5時から100台以上のダンプカーが埋立地に列を成していたという。「海に投棄されていく廃棄物を見ていると、まだまだ使えるものが捨てられている。これからはリサイクルの時代が来なくてはならない」と石坂産業創業者の石坂好男氏は考えた。そして当時事務所を構えていた東京都練馬区から、これまで埋め立てていた廃棄物のリサイクルを始めるために埼玉県入間郡三芳町に移った。
産業廃棄物処理業は、現場からの処理場まで運ぶ収集運搬業、廃棄物を処理する中間処理業、最終処分場に埋め立てる最終処分業の3つがある。石坂産業は建設や事業系産業廃棄物を扱う中間処理業に参入した。
三芳町にはかつて、およそ58基の焼却炉があり、産廃銀座と呼ばれていた。できるだけ小さくして埋め立てるために、廃棄物を燃やす焼却炉を使うからだ。焼却時のダイオキシン発生を防ぐため、地域で先駆けて、1997年に高温で燃やす焼却炉に石坂産業はリニューアルしていた。しかし、1999年に埼玉県所沢市のホウレンソウから高濃度のダイオキシンが検出されたという全国報道がなされ、農家の野菜がまったく売れなくなった。
ダイオキシン問題の矛先は、一番大きな煙突を掲げていた石坂産業に向かった。「ダイオキシン対策をしていたにも関わらず、焼却炉の煙突から出ていた煙が目に付いたのだろう」と石坂産業(株)専務取締役・石坂知子氏は話す。後にホウレンソウのダイオキシン検出は誤報だとわかったが、当時は「石坂産業の煙を止める会」の垂れ幕が掛かり、本社の目の前の監視小屋から24時間監視していたという。
そして、産業廃棄物の焼却事業から撤退することを石坂氏は決めた。約20億円の売上のうち、7割を占める約14億円の焼却事業から撤退し、売上は約6億円になったという。焼却炉の建設で投資した約15億円は借入金がまだ残っていたが、建設現場から出る建設廃棄物に特化して100%リサイクルを目指し、建設資材の原料をつくる再資源化工場を立ち上げた。それまで最終処分場で埋め立てることしかできなかった建設系混合廃棄物の資源化を事業化したのだ。
(つづく)
【石井 ゆかり】
<COMPANY INFORMATION>
所在地:埼玉県入間郡三芳町上富1589-2
代 表:石坂典子
設 立:1971年
資本金:5,000万円
売 上:(19/8)57億9,400万円関連記事
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