2024年12月23日( 月 )

ポスト・コロナ社会(1)

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コロナウイルスとの戦いは「戦争」

 昨年末の出来事を思い出してみよう。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさん(当時16歳)は、「若い世代に環境の『ツケ』を残すな」と現世代を痛烈に批判し、環境問題の切迫した危機を訴えていた。飛行機を使い世界を股にかけるビジネスマンを非難し、ユーロッパでは飛行機ではなく、列車を使った移動が呼びかけられていた。だが現在、世界中で通常のわずか20%の航空機が運用されているだけである。

 不謹慎な表現をすれば、コロナウイルスの感染は壮大な「社会実験」といえるかもしれない。机上でスパコンを使い、精度の高いシミュレーションは行えるかもしれないが、実際に航空機の運用を止め、世界経済の活動を最小限にとどめ、「Stay at Home」を実施することは、いかなる指導者も独裁者もできなかった。 今の状況は、環境問題の専門家、気象学者にとってみれば、世界規模でさまざまな環境指標を計測できる絶好の機会なのかもしれない。

 ヨーロッパの指導者は、このコロナ惨事を「戦争」に例えている。我が国の総理も「第三次世界大戦」と表現したとか。第二次世界大戦後、世界各地でさまざまな紛争が起き、大規模な災害も起きた。9・11のニューヨークテロ事件も、3・11の東日本大震災も、福島の原発事故も未曾有の事故、自然災害と表現されたが、世界の視点からすれば他国の「他人事」であったに違いない。エボラ出血熱もSARSもどこか途上国のローカルな感染問題だと達観していた。すべて世界の局地戦であり、対岸の火事であった。しかし、今回は「戦争」であり、戦場は世界であり、目に見えない(実際は見えているが)明らかな「敵」が存在する。そして、多くの死傷者がでている。世界規模の危機であるから「戦争」である。

 であるならば、冒頭の「環境問題」はどうなのか?確かに世界的な大問題であり、環境の局地戦では、西日本豪雨のように観測史上最大のゲリラ豪雨で、多くの死者が出て、いまだに避難生活を余儀なくされている方々が多数いる。しかし、この世界的な問題の敵は「人間」である。人間自身が敵である事実を認めたくない。逆説的な言い方をすれば、この世の中に人間がいなければ環境問題は存在しない。今、人間自身が、成し得ない「社会的」問題に対する解を、このコロナの惨事は非情な手段で導き出そうとしているとしか思えない。

 コロナの感染拡大は経済にも深刻な影響を与えている。「経済」か「国民の命」か、という天秤で政府の感染対策の遅れが生じたと非難されている。株価が下落し、ここ数年のアメリカバブル経済の成果が吹っ飛んだと指摘されている。だが、このコロナ以前から感染をもたらしたグローバリゼーションにより辺境という経済的フロンティアが消滅し、地理的・物的空間(実物投資空間)からも電子・金融空間からも利潤があげられない「資本主義」の限界、終焉は、経済学者水野和夫らによって広く指摘されてきたことである。また、世界中から富を集め、一箇所に集中させる資本主義経済の仕組みが、いみじくも大都市=感染の中心地という構図をあらわにしている。この限界も随分前から指摘されてきたことである。さまざまな災害は、その社会の最も脆弱な側面を非情で冷徹な手段であらわにしていく。東日本大震災では、すでに過疎地であった三陸の地域課題が、復興後でもさらに深刻化している。今回のコロナはまさに「医療」の弱点をさらけ出している。大災害、惨事に直面し「絆」や「励まし合い」を決して否定するものではないが、手づくりの医療防御服や雨合羽での代用、2枚のマスクなどは、B29に対して竹槍で立ち向かった、かつての状況に近いのではないだろうか。

 戦後、先進国の仲間入りをはたし、技術立国と呼ばれた国の対応としては、あまりにもお粗末だと感じているのは私だけではあるまい。

 現下の課題は、いかに早期にコロナを収束させ、以前の社会を取り戻すか、ということにあるようだ。だが、歴史が示すように、先の2つの世界大戦後の社会構造は激変し、戦勝国と敗戦国が色分けされた。このコロナ惨禍を「戦争」に例えるならば、戦後処理をどう考えるか、ポスト・コロナ社会をイメージし、「耐え難きをたえ、忍び難きをしのぶ」ならば、その後に築く、まったく新しい社会像をどのように描くか、極めて大きな挑戦的課題である。

 大上段に「経済問題」や「社会構造」という前に、地域のあり方、生活のあり方、ワークライフバランスとは?仕事とは?オンラインで失うもの、得るもの、などなど、身近な問題から、再度すべてを疑ってみる好機である。多くの犠牲者が出ている。この犠牲に見合う何かを生み出し、次世代が安心できる社会を生み出さなければ、戦争は単に「休戦」であり、再度、致死率が極めて高い、新たな感染症が「戦争」を仕掛けてくることは目に見えている。この国が「第二の敗戦」を迎える前に。

(つづく)

【佐藤 俊郎】

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