2024年11月22日( 金 )

【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(前)

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ジャーナリスト 元木 昌彦 氏  

本田靖春という人物がいたことを覚えておいでだろうか。読売新聞社会部記者を経て、ノンフィクション作家として活躍。2004年に亡くなるまで数々の作品を残した。その一つ、『誘拐』を下敷きに、作家の奥田英朗氏が著した『罪の轍』をきっかけに今、静かな本田靖春ブームが起きている。読売新聞社会部記者時代に手がけた「黄色い血キャンペーン」が献血制度の確立に貢献したことでも知られる。親交のあった元木昌彦氏が読売時代の足跡を辿る。

読売新聞を離れて数々の傑作を残す

 なぜ、マスコミがマスゴミといわれるようになってしまったのか。その理由を一人のノンフィクション・ライターについて語ることで明らかにしてみたい。

 本田靖春さんである。元読売新聞社会部記者で、38歳で読売を離れてからは、ノンフィクション・ライターとして数々の傑作を世に出した。

数々の傑作ノンフィクション
をのこした

 今、静かな本田靖春ブームである。そのきっかけは、作家の奥田英朗氏が出した『罪の轍』(新潮社)にある。東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年、浅草で起きた男児誘拐事件をめぐるミステリーだが、これは本田さんが書いた『誘拐』(講談社)を下敷きにしている。

 世には「吉展ちゃん事件」として知られる誘拐殺人事件である。東北の貧しい寒村から出てきた小原保が、吉展ちゃんを誘拐し、身代金を要求する。だが、カネを取りに現れた小原を、警察は取り逃がすという大失態を演じ、男児は遺体で発見されるのである。

 事件は迷宮入りかと見えたが、刑事たちの執念の捜査で、小原が逮捕されるまでを丹念に追った傑作である。

 本田さんは、被害者家族と犯人の両方を“複眼”で捉えている。東京オリンピック開催前夜という時代を背景に、誘拐された家族の悲哀、刑事たちの地道な捜査を描きながら、犯人の生い立ちや、彼が事件を起こすに至った社会の闇にも目配りをしている。

 本田さんには、1968年に発生した金嬉老事件を取材した『私戦』(同)というノンフィクションもある。犯人の金が人質解放の条件として、「韓国人・朝鮮人蔑視発言をした警官の謝罪」を求めたことに注目して、差別という問題に鋭く切り込んでいる。

 彼の最高傑作といわれるのが『不当逮捕』(同)である。本田さんの先輩で、読売新聞の花形記者だった立松和博が、検察内部の権力闘争に巻き込まれ、誤報を掴まされ逮捕されてしまう。

 だが読売新聞は彼のことを守らず、立松は寂しく死んで行く。本田さんは、先輩・立松のスクープ記者時代、検察の権力闘争の醜さ、身内の記者を守ろうとしない読売という組織の非情さを、憤りを持って描いている。

 売血でまかなわれていた1950年代後半の輸血

 私は、彼が読売新聞を辞めて、しばらくしてから会っている。以来、公私ともに親しくお付き合いさせてもらった。私より一回り上だが、二人とも趣味が競馬ということでウマが合った。

 本田さんは、生涯、社会部記者ということを誇りにしていたが、社会部が社会部らしかった最後の世代である。本田さんの読売新聞時代の足跡を辿ってみたい。

 新聞記者になりたくて、早稲田大学政治経済学部新聞学科から読売に入った。大学時代、ゼミの先生から、「読売から原稿を頼まれているが、お前が書いてみろ」といわれ、書いた文章がそのまま掲載されたという逸話を持っている。

 社会部に配属される。下町のサツ回り時代に、後に「天声人語」を書く、朝日新聞の深代惇郎と知り合う。大学時代の先輩に、後年、田中角栄の秘書になる早坂茂三(元東京タイムズ記者)がいた。

 弱冠27歳の時、60年安保闘争最大の山場、国会東通用門で学生と機動隊が激しくぶつかり合った様子を、社会面トップで、署名記事「わたしはこの目で見た にくしみの激突」を書く。

 新聞がジャーナリズム本来の役割を果たしていた時代の寵児だった。

 本田さんの名前が今も読売新聞の歴史の中で燦然と輝いているのは、「黄色い血キャンペーン」を一人で始め、売(買)血制度を止めさせ、厚生省(当時)を動かして現在のような献血制度に変えたからである。

 1950年代後半、輸血するための血のほとんどを「売血」でまかなっていた。  情報は、本田さんの先輩の息子である大学生からもたらされた。早稲田大学にいた息子は、赤十字学生奉仕団のメンバーで、その活動を通じて、日本の献血制度の矛盾を知ることになる。

 当時、年間輸血需要量は60万klに達しつつあった。輸血に使う血は採血後、21日間冷蔵庫で保存されていた。

 こうすると、戦後しきりに問題になった梅毒ウイルスは完全に死滅する。だが、肝炎ウイルスは冷凍しても煮沸しても死滅せず、いわゆる血清肝炎、現在のC型肝炎が蔓延したのである。

(つづく)
(文中敬称略)

<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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