【訃報】進興設備工業「中興の祖」舩津政隆氏、永眠
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5月13日の帰宅後、午後8時に目を通したハガキに進興設備工業の元社長・舩津政隆氏の訃報が記されてあった。それを見て「まさか!」と気が動転した。ハガキには「闘病していた舩津政隆は5月6日、77歳で逝去いたしました。存命中には故人が非常にお世話になったことに感謝します」と書かれてあった。
筆者にとって故人・舩津政隆氏は人生の恩人5人のうちの1人だった。まず何よりもすばらしい経営能力を実践し、見せつけてくれた。この実績に誰も反論できない。誰もが心服するしかないのである。
業界において進興設備工業(福岡市南区玉川町)の卓越した財務力を知らぬものはいない。当社の『I・B』2014年6月9日号(No1942)で下記のように報じた。「14年2月期売上高14億4,800万円で企業価値14億円になる、年商分の価値を積み上げた。その功労者は2代目社長であった舩津政隆氏であった」。
同社は1951年1月に的野傳氏が個人創業した。法人化したのが、59年4月である。老舗だったものの、業績は一進一退であった。的野氏は社員の要望を聞き入れて84年4月に創業者とはまったくの赤の他人だった故人・舩津政隆氏を2代目社長に抜擢した。この人事によって身内が社長に就任しないという風土が確立した。
84年から15年間、1999年まで代表取締役社長として「快走」し、卓越した会社に仕上げた。さらに3代目的野敢氏を支えながら2014年まで会長として経営を引っ張ってきた。この卓越した経営の原点は何か!ズバリ「朝を制すること」である。舩津氏は毎朝5時半に出社することを励行してきた。筆者が6時台に連絡する(電話する)経営者が4名いたが、舩津氏はその1人であった。
会議・打ち合わせをスピーディーに済ませて現場へ即座に直行する。同社の現場稼働が一番早いということは有名だった。要は朝を制して現場の生産性・効率化を極めて利益を得るというのが、故人の経営者としての原点だった。この合理的な思考を貫徹させる意志の強靭さには頭が下がった。
さらに戦略眼の非凡さにも舌を巻いた。「マンションの修繕、リニューアルの時代が必ずやってくる」と見定め、時間をかけて営業実績を積んでいく。2014年6月の4代目社長に就任した大野史朗氏はその路線を継承発展させて「ダイレクトマンションリニューアル受注」が半数を占めるようになった。要するに戦略決定をしたら、その後は微動だにしない貫徹心を社風としてもっているという証である。
2014年以降は会社経営から一歩、離れて「隠遁生活」に移行し、夫婦で国内旅行を楽しんできた。だが、体内をがんにむしばまれ、10年近い戦いを余儀なくされていたが、ついに旅立ってしまった。
「舩津政隆さん!!非常に勉強させていただき感謝します」合掌(児玉)
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