元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(1)国際情報戦で日本車1,600台受注
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏
ニチメン(株)(現:双日(株))で長年海外駐在員として奮闘した日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏から、当時の状況についての原稿が寄せられたので紹介する。
1966年、ニチメン(株)バグダッド拠点に赴任
1966年10月13日、バグダッド駐在員として羽田からバグダッドへ旅立った。結婚して11カ月の妻の家族、鹿児島から見送りにきた父母、それに会社関係者、業務部欧米課の先輩、後輩も見送ってくれた。入社以来6年半、情報を活用した新規事業開拓に全力投球してきた。ニチメン(株)・バグダッド駐在員としての責任を一身に背負っての旅立ちであった。
飛行機の席に着くと、責任の重大さが身に染みて緊張した。同時に海外駐在員としての責任と誇りが体いっぱいに広がった。バグダッド赴任に先立って、中近東ビジネスを采配する中近東総支配人が駐在するベイルートに立ち寄り、着任のあいさつをして、今後のバグダッド戦略について指示をうけた。10月16日夜、バグダッド空港に到着。空港では、前任の山口龍雄バグダッド駐在員夫妻、現地代理店代表のサム夫妻が出迎えてくれた。
夜遅かったが、着任歓迎会でバグダッド市内のアラブレストランへ案内された。着任記念品として、サム夫妻より金のパーカー万年筆をいただいた。大学時代に『Japan Times』の全日本社会人・学生英作文コンテストで3位に入賞したときに、プラスチックのパーカー万年筆を賞品にもらっており、縁を感じた。プラスチックのパーカー万年筆と同様に、金のパーカー万年筆も後日、鹿児島の父に送った。
国際商戦は情報戦だ
バグダッドでの主な取引先は、サム氏とお兄さんのビクター氏の兄弟の家電代理店、タイヤ、バッテリーなど自動車の部品関連商品を手がけていたカムーナ氏の代理店、プラスチック機械と原料を輸入していたブローカーのピーター氏の代理店が主力であった。定番の商品はこの3社にまかせ、私は情報を活用して、新規ビジネスの開拓に尽力することにした。
まずカムーナ氏に「自動車の部品などを販売しても商売は大きくならない。なぜ本体の自動車を売らないのか」と聞いた。すると、「欧米の自動車に比べると、日本車の品質は信用できず、ましてや砂漠でエンジンが止まると命取りになる。欧米の自動車メーカーが、日本車を扱うなと宣伝している」という答えが返ってきた。
「最近では日本車の性能も向上している。何とか日本車本体の売り込みを努力してほしい」と常々強調していたときにイスラエルとの中東戦争が勃発した。イラクを初めとするアラブ諸国は、イスラエルを支援したとして欧米からの自動車を中心に輸入ボイコットを決定した。
カムーナ氏の動きは早かった。「日本車のカタログを至急入手してほしい」という。ニチメンは、東京自動車部が日産、大阪自動車部がダイハツを担いだ。これらのカタログを基に乗用車、ピックアップトラック、マイクロバスなどを売り込んだ。
ふたを開けると、T車(S社代理店)、M車(I社代理店)を差し置き1,600台という日本車初の大量受注に成功した。受注総額は、当時の金額で5億円(現在の約50億円に相当)だった。新規ビジネスの可能性は政府関係情報も含めてまめに収集していた「情報戦略」の勝利によるものであると痛感し、イラクの情報戦略にさらに注力することとなった。
(つづく)
<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)
鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)関連キーワード
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