【IR福岡誘致特別連載2】「アメリ化」を目論む西戸崎 IR誘致は歴史的必然だったのか
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地域で長年にわたり、美容室を営んでいた井上準之助氏が、コロナ禍からの経済復興の起爆剤にもなり得るIR(カジノを含む統合型シティリゾート)誘致活動に乗り出すまでには、必然ともいえる、地元愛が生かされた地域の草の根活動が根幹にあった。
アメリカがあった西戸崎
西戸崎周辺に飛行場があったことでさえ、知らない人が多いのではないか。1936年、西戸崎や海の中道周辺地域に日本初の国際空港「福岡第一飛行場」が開港した。最盛期には、朝鮮や台湾、東南アジアなどへの路線が次々に開設され、日本最大の国際空港となった。太平洋戦争時には、海軍の基地として重要な役割をはたしたものの、終戦後まもなく米軍に接収された。
米空軍基地「BRADY AIR BASE」はキャンプハカタと呼ばれ、50年に開戦した朝鮮戦争において重要な拠点となった。54年には世界的大スターのマリリン・モンローが慰問に訪れている。72年の基地返還までの30年弱の間、米兵たちは西戸崎周辺の住民と交流を行っていたという。
このような西戸崎の歴史は地域の誇りであり、風化させてはならないと、公民館長だった井上氏は当時の写真を集めた展覧会を2014年に開催することを思いつく。しかし、思いのほか当時の写真が入手できなかったものの、当時の米兵OBたちとウェブサイトを通じてコンタクトをとり、多くの写真を提供してもらったという。それがきっかけとなって、キャンプハカタに駐留していた米兵OBたちとの交流が始まった。
現在も、公民館内に数多くの写真が飾ってあり、井上氏自身は、米兵のOB会に出席するために、フロリダまで足を運んだそうだ。さらに、井上氏は、西戸崎の人たちと米兵のあたたかな交流があった当時の思い出を記憶に残そうと、冊子「僕の街にはアメリカがあった SAITOZAKI FUN BOOK」を発行した。冊子は5,000部を印刷し、3,000部増刷したが、ほぼ完売したという。井上氏が「アメリ化」と称するこのような活動は地域の盛り上げに一役買っている。
「アメリ化」に向けて 西戸崎誘致は必然か
福岡市のIR誘致をめぐっては、福岡青年会議所が昨年10月、IR提言書を公開。福岡IR構想として、「福岡にしかできない地方型IR」を掲げる。候補地として、西戸崎~志賀島、九州大学箱崎キャンパス跡地、中央ふ頭、小戸~能古島の4カ所を挙げた。それに対し、高島市長は、「誘致合戦はすでに始まっており、時間的に厳しく、現時点では考える状態にはない」と否定的見解を述べている。
そうしたなか、ここにきてIR誘致活動のニュースが世間を駆け巡った。突如として沸き起こったように見えたが、井上氏はこれまで水面下でまとめ上げてきていたという。2014年に写真展の開催を思い立って以降、米兵OBの人脈からビジネスの最前線の人たちとのパイプを築いていった。カジノに対する世間のネガティブイメージ、大きな動きに対する外圧などをかわすために、秘密裏にここまで仕込んできた用意周到さにも目を見張るものがある。このような大型事業は、地域の住民の意識によって、うまくいくものもいかなくなるものだ。「地域住民にきちんと話をして、理解してもらうのが自分のミッションだ」と話す井上氏のポジションは重要であり、またもっとも適した人物といえるのではないか。
IR整備法によると、区域の認定数は3カ所が上限だ。基本方針案では、21年1月から同年7月末までを認定申請受付期間とし、早ければ来年8月には、IR区域整備計画が認定される。コロナ禍で地方自治体の経済が疲弊するなかで、立候補している地域にとってIR区域に認定されるということは経済のV字回復への切符を手に入れるようなものだ。今回手渡された上申書について、福岡市がどのような動きに出るのか、期待が集まる。
IR統合リゾートを誘致できたあかつきには、キャンプハカタOBの人たちを西戸崎に招待したいという夢をもっている井上氏。公民館のイベントがきっかけで、「アメリ化」に向けて動き出した西戸崎に、アメリカ系の総合エンターテイメント事業が誕生するのは「必然」なのか、注目である。
【杉本 尚丈】
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